テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
会員登録 テンミニッツTVとは
社会人向け教養サービス 『テンミニッツTV』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2021.05.28

「脳が生きている」とは?『脳を司る「脳」』の正体

〝いま、あなたがこの本を手に取ったのは、脳のしわざです〟

 お茶の水女子大学理学部助教である毛内拡先生の著書、『脳を司る「脳」 最新研究で見えてきた、驚くべき脳のはたらき』(ブルーバックス)は、この一文ではじまります。今、こうしてこのコラムを読んでいるということも、毛内先生の言葉を借りれば、〝脳のしわざ〟ということになるでしょう。

 ふと見えた、〝脳〟の文字に興味を持ち、このコラムを読み始めた人もいれば、いろいろと検索していたら偶然出てきたのがこのコラムだった……という人もいるかもしれません。しかし、どこかで選択をしたということは、そこには〝脳〟が関わっています。このコラムを最後まで読んだとき、〝続きを読んでみよう〟〝この本を読んでみよう〟とこころが動くことも〝脳〟が判断し、呼び起こしている感情です。

 どうして、そんな感情が浮かぶのでしょうか。わたしたちは何も考えずに生きることはできません。その原因や仕組みはどうなっているのでしょうか。脳の細胞のせい? あるいは遺伝? それとも何か別の物質が作用している?……。そんな脳のはたらきについて最前線の研究者が語った本書から、今回は〝脳の正体〟に迫ってみたいと思います。

「脳が生きている」「脳が死んでいる」とはどういう状態か

 一昔前、〝脳死は人の死か〟ということが頻繁にニュースに取り上げられた時代がありました。現在では、多くの先進国では〝脳死は人の死〟とされ、それによって臓器移植がなされる場合もあります。

 本書ではまず、「脳が生きている」「脳が死んでいる」とはどのような状態のことかを説明しています。脳の活動は、電気的な活動であるため、脳が動いているときには、微弱な電流が生まれ、それは脳波として計測することができます。リラックスしているときにはアルファ波が出ている、ということは、よくテレビでも取り上げられていますね。

 しかし、電流が生まれているからといって、それが「脳が生きている」とは必ずしもいえないのです。この本のなかでは、「一度死んでから蘇生された(ブタの)脳」、「試験管で培養された脳」、「コンピュータ上で再現された脳」の事例を並べ、それらを通して「脳が生きているということ」の定義を問い直しています。

 中世ヨーロッパの時代、人の心は心臓にあるのではないかと考えられていましたが、現代を生きる多くの人は、〝こころ〟──つまり、人がどこでモノを考え、感情を生み出し、行動しているのかを問われたとき、それは〝脳〟であると答えるのではないでしょうか。「こころのはたらき」があるかどうかが、人間にとって欠かすことのできないヒトである要素の一つなのです。そして、電流だけで「こころのはたらき」は生まれません。本書のなかで、毛内先生は「これらのことを理解して納得してもらうためには、まず脳を構成する要素について一つ一つ理解していく必要があります」と語っています。

脳の仕組みを理解しよう

 脳を構成するものとして一般的に知られているのは、神経細胞であるニューロンや、それをつないでいるシナプスでしょう。しかし、たったそれだけのもので、他の生命体に類を見ないような発展──しかもいまだに宇宙空間にさえ同種の生命体が発見できていない──を遂げることはありません。人の脳はより複雑に、さまざまな物質がお互いに反応し合うことで、成り立っているのです。

 本書では、6章にわたって、これらの脳の複雑な仕組みを解説しています。情報を伝達するニューロンのはたらきや、それをつなぐシナプスの伝達の仕組み、脳の細胞の外にあるスペースがどう細胞同士に作用しているか、脳のなかを流れる水がどうやって脳から老廃物を排出しているのか、神経細胞の一種であるグリア細胞の割合についてなど……丁寧に説明がなされています。読み進めるうちに、次第に脳の仕組みがわかっていくと同時に、これだけ複雑な仕組みを、さらに外側から解き明かしていくだけの力が、人類の脳に備わっていることにも驚くのではないでしょうか。

 さらに、本書ではどうしてヒトが「知性」や「ひらめき」を持つことができたのかにも言及してゆきます。

ヒトの知性を司っているのはグリア細胞?

 脳細胞の一種であるグリア細胞は、ニューロンと同じか、それ以上の数、脳のなかに存在しているということがわかっています。じつは、このグリア細胞こそが、ヒトの知性の源になっている可能性があるのです。天才物理学者アルバート・アインシュタインの死後、彼の脳組織について研究が行われ、その結果、一般の人よりも「ひらめき」を司っている脳の部分にグリア細胞が多く見つかったという逸話もあるそうです。本書では、これを科学的な根拠として採用することは難しいとしながらも、「もしも本当にグリア細胞に天才的なひらめきを生む秘密が隠されていたらおもしろいと思いませんか」と語っています。

 加えて、グリア細胞の一種であるアストロサイト(astrocyte)という細胞についても、ヒトの知性とのつながりが示唆されています。

 このアストロサイトは、astronが古代ギリシア語で「星」を意味することからもお分かりの通り「星形」に近い姿をしています。本書では、アストロサイトを「星というよりは金ダワシのような」姿をしているとしています。ニューロンとニューロンのすきまを埋めるために存在している細胞と考えられ、注目されはじめたのは近年になってからだそうです。じつは多様な役割を担っているこのアストロサイトは、ヒトとマウスで比べても、よりヒトのほうが複雑で大きく、ヒトと同じようなアストロサイトはサルのような霊長類でしか観測できていない特殊なものです。

 また、ヒトのアストロサイトをマウスに移植したところ、通常のマウスより高い学習能力を持つ可能性が実証されたという実例も紹介されています。つまり、アストロサイトの存在は、人類の知性に大きな影響を与えているかもしれないのです。

「知能」と「知性」の違いが問いかける「生きていること」

 本書は、「生きている」とはどういうことかという問いではじまり、脳の機能と、わたしたち人類の知性の根源について示唆をしたのち、再び「生きていること」についての問いを投げかけています。エピローグで毛内先生は、こう記述しています。

・知能とは、答えがあることに(素早く、正確に)答える能力
・知性とは、答えがないことに答えを出そうとする営み

 コンピュータが得意なのは「知能」であり、人間の脳が得意なことは「知性」であると語ります。AIがヒトに取って代わる世界が夢物語でなくなりつつある現在、どうしてわたしたちに「知性」が備わっているのか、本書を通して考えてみるのはいかがでしょうか。生命の不思議に触れると同時に、人類の数千年にわたる発展は、未知のものを解き明かそうとする「知性」が支えてきたのだと感じられるはずです。

<参考文献>
『脳を司る「脳」 最新研究で見えてきた、驚くべき脳のはたらき』(毛内拡著、ブルーバックス)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000347965

<参考サイト>
毛内拡先生の研究室
https://www-p.sci.ocha.ac.jp/bio-monai-lab/

~最後までコラムを読んでくれた方へ~
雑学から一段上の「大人の教養」はいかがですか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,500本以上。 『テンミニッツTV』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

分断進む世界でつなげていく力――ジェトロ「3つの役割」

分断進む世界でつなげていく力――ジェトロ「3つの役割」

グローバル環境の変化と日本の課題(5)ジェトロが取り組む企業支援

グローバル経済の中で日本企業がプレゼンスを高めていくための支援を、ジェトロ(日本貿易振興機構)は積極的に行っている。「攻めの経営」の機運が出始めた今、その好循環を促進していくための取り組みの数々を紹介する。(全6...
収録日:2025/01/17
追加日:2025/04/01
石黒憲彦
独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)理事長
2

最悪10メートル以上海面上昇…将来に禍根残す温暖化の影響

最悪10メートル以上海面上昇…将来に禍根残す温暖化の影響

水から考える「持続可能」な未来(1)気候変動の現在地

今や世界共通の喫緊の課題となっている地球温暖化。さらに、日本国内の上下水道など、インフラの問題も、これから大きな問題になっていく。地球環境からインフラまで、「持続可能」な未来をどうつくっていくのかについて、「水...
収録日:2024/09/14
追加日:2025/03/06
沖大幹
東京大学大学院工学系研究科 教授
3

なぜやる気が出ないのか…『それから』の主人公の謎に迫る

なぜやる気が出ないのか…『それから』の主人公の謎に迫る

いま夏目漱石の前期三部作を読む(5)『それから』の謎と偶然の明治維新

前期三部作の2作目『それから』は、裕福な家に生まれ東大を卒業しながらも無気力に生きる主人公の長井代助を描いたものである。代助は友人の妻である三千代への思いを語るが、それが明かされるのは物語の終盤である。そこが『そ...
収録日:2024/12/02
追加日:2025/03/30
與那覇潤
評論家
4

イーロン・マスクは何がすごい?生い立ちと経歴

イーロン・マスクは何がすごい?生い立ちと経歴

イーロン・マスクの成功哲学(1)マスクが「世界一」になるまで

2022年、フォーブス誌が発表した世界長者番付の一位となったイーロン・マスク。テスラの電気自動車やスペースXのロケット開発などを通じ、革新的なイノベーションを実現してきたことで知られるマスクは、いかにして現在のような...
収録日:2022/06/22
追加日:2022/08/23
桑原晃弥
経済・経営ジャーナリスト
5

このように投資にお金を回せば、社会課題も解決できる

このように投資にお金を回せば、社会課題も解決できる

お金の回し方…日本の死蔵マネー活用法(6)日本の課題解決にお金を回す

国内でいかにお金を生み、循環させるべきか。既存の大量資金を社会課題解決に向けて循環させるための方策はあるのか。日本の財政・金融政策を振り返りつつ、産業育成や教育投資、助け合う金融の再構築を通した、バランスの取れ...
収録日:2024/12/04
追加日:2025/03/29
養田功一郎
元三井住友DSアセットマネジメント執行役員