テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
社会人向け教養サービス 『テンミニッツTV』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2024.03.14

『「はやぶさ2」は何を持ち帰ったのか』で迫る生命の秘密

 2003年、日本が開発した小惑星探査機「はやぶさ」は、そのミッションを遂行するために宇宙へと旅立ちました。2年間の長旅の末、地球から約3億キロメートル離れた小惑星イトカワに到着した「はやぶさ」は、その表面を詳細に観測し、約1ミリグラムの貴重なサンプルを地球に持ち帰ることに成功しました。これは、人類が初めて小惑星からサンプルを回収した歴史的な出来事でした。大気圏への再突入時に燃え尽きる「はやぶさ」の画像を鮮明に覚えている人も多いのではないでしょうか。

 時代は進んで2020年、「はやぶさ」の後継機が小惑星「リュウグウ」から約5グラムのサンプルを回収したことが大きなニュースになりました。今回ご紹介する書籍『「はやぶさ2」は何を持ち帰ったのか リュウグウの石の声を聴く』(橘省吾著、岩波科学ライブラリー)では、この「はやぶさ2」がもたらしたサンプルの価値と、その分析結果が解説されています。

 著者である橘省吾氏は、「はやぶさ2」の試料採取装置の開発を担当し、持ち帰られた試料の分析プロジェクトを指揮した研究者です。現在は東京大学大学院理学系研究科宇宙惑星科学機構教授を務めています。橘氏は他にも『星くずたちの記憶』(岩波書店)や、共著に『鉄学137億年の宇宙誌』(岩波書店)や『惑星地質学』(東京大学出版会)など、宇宙に関する多くの著書をもつその分野のエキスパートです。

「はやぶさ2」はなぜ「リュウグウ」へ?――サンプルリターン調査の必要性

 なぜ科学者たちは、膨大な時間と費用をかけて、わざわざ地球のはるか外側まで行き、石を取ってくるのでしょうか。小惑星からサンプルを地球に持ち帰るという行為には、一体どのような意味があるのでしょうか。

「はやぶさ」や「はやぶさ2」が行ったサンプルリターン調査には、さまざまな意義がありますが、その中でも重要なのは科学的価値です。小惑星は太陽系の初期の状態を保っていると考えられており、そのサンプルを調査することで太陽系や地球の形成過程、さらには生命の起源に至るまで、多くの重要な手がかりが得られるのです。

 もちろん望遠鏡を使った観測や、地球に落ちてくる隕石の分析を通じても、宇宙に関するさまざまなデータを収集することはできます。しかし、直接、小惑星から持ち帰った試料から得られる情報の価値は別格です。地球には大気があり、これが原因でもろい物質は地球表面に到達する前に燃え尽きてしまいます。仮に燃え残ったものがあったとしても、地球上での水や有機物による汚染や変質などもあります。それらは避けがたい課題ですが、地球外で直接採取したサンプルなら、そのような心配もないというわけです。

「リュウグウの石」の声を聴く――試料分析からわかること

「はやぶさ2」から持ち帰られた試料の分析に関して、本書執筆時点ですでに80を超える数の論文が出版されており、今後もその数は増えていくことでしょう。たった5グラムの「リュウグウの石」を調べることで、どのようなことがわかるのでしょうか。

「はやぶさ2」計画の科学的目標は、水や有機物を含む隕石「炭素質コンドライト」の故郷かもしれない「C型小惑星」を調査することでした。その目的は、「太陽系がどのように始まり、地球をはじめとする多様な惑星を誕生させたのか、海や生命の材料である水や有機物が地球にどのようにもたらされたのか」を明らかにすることです。

 橘氏は「サンプルは雄弁」だと言います。鉱物の種類や形、化学組成などを調べることで、それがつくられたときに経験した温度や圧力といった諸条件から、周辺環境に関するさまざまな情報がわかるのだそうです。

 サンプル分析の結果、C型小惑星リュウグウの石は、太陽系の元素組成に極めて近いことが判明しました。いわば「太陽系の原点」だったのです。また、地球に向かって落下する際、大気圏で燃え尽きるものがほとんどであり、たとえ地表に到達したとしても、風化や変質によって別の鉱物へと姿を変えてしまうことが比較分析によって明らかになりました。

 さらに、リュウグウの誕生からその後の進化の歴史もわかりました。この天体が形成された後、その構成材料に含まれていた氷などが融解し、水との化学反応を経て、含水鉱物や炭酸塩、硫化鉄、磁鉄鉱といった鉱物が生成されました。これらの化学反応が起こったのは、太陽が誕生してから約500万年の間でした。この事実は、リュウグウの石が地球よりも古い存在であることを示しています。

生命誕生の秘密に迫る――生命の材料の起源とは

 リュウグウの石からは、予想どおり有機物も検出されました。これは、地球上で生命が誕生した過程を解明する上で重要な手がかりとなります。リュウグウの探査は、まさに「生命の材料の起源」を明らかにする試みなのです。

 分析結果は、リュウグウのようなC型小惑星が内部で有機分子を複雑化し、初期の地球にアミノ酸など生命の材料を運ぶ役割を果たした可能性を示唆しています。これは、地球上で生命が誕生する過程でC型小惑星が重要な役割を担っていたかもしれないということです。

 現在、JAXAは次のサンプルリターン探査計画である火星衛星探査計画(Martian Moons eXploration)、通称MMXを進めています。このプロジェクトの目標は、火星の二つの衛星、フォボスとダイモスの探査と、フォボスからのサンプルリターンです。このミッションが成功すれば、太陽系の起源に関する私たちの理解はさらに深まるはずです。

 本書を読めば、わずか5グラムの石からどれだけ多くのことがわかるのか、驚かれることでしょう。試料を分析し、この世界の真実に迫るというワクワクするような科学の冒険を体験することができます。

 本書は科学をテーマにしていますが、高校生レベルの基礎知識があれば難なく読み進めることが可能です。専門用語についても、例えば「ベンゼン」を「炭素6個が六角形状につながり、炭素一つずつに水素が一つ結合したもの」といった形でわかりやすく解説していますので、科学に苦手意識がある方でも楽しめるはずです。

「はやぶさ2」が持ち帰ったサンプルは何を語るのか。その「声」を少しずつ解き明かしていく展開は、まるで推理小説を読んでいるかのように面白い。ぜひ本書を手にとって、リュウグウの石の声に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

<参考文献>
『「はやぶさ2」は何を持ち帰ったのか リュウグウの石の声を聴く』(橘省吾著、岩波科学ライブラリー)
https://www.iwanami.co.jp/book/b639909.html

<参考サイト>
橘省吾氏のホームページ
https://shogo-tachibana.webnode.page/

橘省吾氏のX(旧ツイッター)
https://x.com/ShogoCitrus
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
雑学から一段上の「大人の教養」はいかがですか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,100本以上。 『テンミニッツTV』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

全てが悟りに至る道…日本は茶や花や野球にも「道」がある

全てが悟りに至る道…日本は茶や花や野球にも「道」がある

石田梅岩の心学に学ぶ(6)禅から茶道へ

道元の『辨道話』には「修証一等」の言葉がある。修行も悟りも同じことであり、修行は特別なことではないことを説く。坐禅だけでなく茶をふるまうのも花を活けるのも、生きることそのものが修行になる。ただし、ただ生きるのと...
収録日:2022/06/28
追加日:2024/05/13
田口佳史
東洋思想研究家
2

江戸時代の新宿…水辺の景勝地としての名残、熊野神社

江戸時代の新宿…水辺の景勝地としての名残、熊野神社

『江戸名所図会』で歩く東京~上水と十二社(2)水辺の観光地としての新宿

世界でも有数の上水道が整備されていた江戸の街。とくに新宿エリアには、玉川上水のみならず、神田上水も流れていたが、そこは牧歌的な観光地としても人気を集めていた。『江戸名所図会』をひもときながら実際に新宿十二社 熊野...
収録日:2024/02/19
追加日:2024/05/12
堀口茉純
歴史作家
3

「人間天皇」を否定した三島由紀夫の思想が問うものとは

「人間天皇」を否定した三島由紀夫の思想が問うものとは

天皇のあり方と近代日本(4)三島由紀夫VS東大全共闘

世界中で価値観の分断が進み、社会が大きく割れている。ここで想起されるのが、1969年の「三島由紀夫vs東大全共闘」の両極に割れた討論会である。この討論会で、東大全共闘は天皇を罵り嘲笑する一方、三島由紀夫は「この天皇は...
収録日:2021/11/02
追加日:2022/01/06
片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授
4

時空間を自由に移動!分散化で期待される電力消費の冗長性

時空間を自由に移動!分散化で期待される電力消費の冗長性

日本のエネルギー&デジタル戦略の未来像(5)デジタルインフラと電力のこれから

人体における神経と血管の相互補完関係のような、デジタルインフラと電力供給網の密接な関係はいかに構築できるのか。既存の電力設備を活用する最もシンプルな方法や、消費者の近くに点在するデータセンターを活用した、分散型...
収録日:2024/02/07
追加日:2024/05/11
岡本浩
東京電力パワーグリッド株式会社取締役副社長執行役員最高技術責任者
5

ノーベル賞受賞「オートファジー」とは?その仕組みに迫る

ノーベル賞受賞「オートファジー」とは?その仕組みに迫る

オートファジー入門~細胞内のリサイクル~(1)細胞と細胞内の入れ替え

2016年ノーベル医学・生理学賞の受賞テーマである「オートファジー」とは何か。私たちの体は無数の細胞でできているが、それが日々、どのようなプロセスで新鮮な状態を保っているかを知る機会は少ない。今シリーズでは、細胞が...
収録日:2023/12/15
追加日:2024/03/17
水島昇
東京大学 大学院医学系研究科・医学部 教授