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『間違い学』から学ぶヒューマンエラーとの向き合い方
日常生活でも職場でも意図せずに起こるミスや誤り、いわゆるヒューマンエラーはさまざまな場面で発生しますが、人間である以上、避けられないものです。例えば、キャッシュレス決済がうまくできないといったささいなものから、運転中の不注意による交通事故や医療現場での投薬ミスのような重大なものまで、その範囲は多岐にわたります。エラーの内容によっては、悲劇的な結果を招くこともあります。
私たちはヒューマンエラーにどのように向き合えばいいのでしょうか。それを教えてくれるのが、今回ご紹介する書籍『間違い学―「ゼロリスク」と「レジリエンス」―』(松尾太加志著、新潮新書)です。
著者の松尾太加志氏は現在、北九州市立大学特任教授で、2023年までは同大学の学長を務められていました。専門は心理学で、特に人とコンピュータの関係に関する研究で知られています。著書には『コミュニケーションの心理学 現地心理学、社会心理学、認知工学からのアプローチ』(ナカニシヤ出版)などがあります。
ヒューマンエラーが悲惨な結果を招いた事例として、手術室で患者を取り違えた医療事故が紹介されています。これは1999年に実際に起こったもので、患者を間違えて手術をしてしまったという衝撃的な事故でした。事故が起こるまでの過程でいくつものポイントがありましたが、発端は看護師が違う患者に声かけをしたことです。手術前、患者のAさんに対して「Bさん、おはようございます」と看護師が間違えて声かけしてから、そのまま誰も取り違えに気づかず、手術に至ってしまいました。
「間違い学」の観点からは、誰に責任があったのかではなく、どうすればこのような事故が防げたかが重要です。この事例では、患者にフルネームを確認したり、患者に氏名が書かれたリストバンドを付けたりして明確な患者確認を行うべきでした。また、麻酔開始前に主治医と執刀医が患者確認を行うことがルール化されていれば、防げたはずです。
現在では、取り違え防止のために患者にリストバンドを装着させることが一般的になっています。バーコードも付けられ、それを読み込めばすぐに患者の詳細な情報がわかるようになり、とても便利になりました。
しかし、それでも完全に間違いを防ぐことはできません。なぜなら、リストバンドを患者に装着するのは人間だからです。本書では、リストバンドの付け間違いによって、血糖値が高くもない患者にインスリンを投与しかけたという海外の事例が紹介されています。IT化によりミスを減らすことはできますが、このような間違いを完全にゼロにすることは難しいのです。
外的手がかりは五つに分類されます。「文書」「表示」「対象」「電子アシスタント」「人」です。それぞれについて、本書で紹介されているインターホンの配線間違いの事例とともに簡単にご紹介しましょう。
インターホンの配線を行う際、正しい端子に適切なケーブルを接続する場面を想定してください。どうすれば正しく接続できるでしょうか。まず頼るのは「文書」です。わかりやすいマニュアルがあるといいですし、図解付きで説明されているとより効果的です。
あるいは、各端子のところに対応するケーブルの色を「赤」「青」「黄」「白」といったように「表示」しておくことも考えられます。ただし、それでも人間がその表示通りに接続するという保証はありません。それなら、最初から間違った接続ができない工夫をしておくべきです。例えば、対応したケーブルしか接続できないように、接続部の大きさを変えておくなどの方法があります。仮に間違えて接続しようとしても、形状が合致しないため、間違いに気づくことができます。これが外的手がかりの「対象」に該当します。
これまでの方法はハードに関するものでしたが、電子化によりソフト的な仕組みで間違いを防ごうとするのが「電子アシスタント」です。先ほどの、入院患者につけられたバーコード付きリストバンドなどはその例です。他にも、電子メールを送るときに件名の入力を忘れたまま送信ボタンを押してしまうと、「本当に送信していいですか?」という確認メッセージが表示され、間違いに気づくことがあります。このように、ヒューマンエラーを起こさないもっとも有効な方策といえるのは、人間に作業をさせないことです。機械化や電子化できるところはそうしたほうがよいのです。
最後は「人」です。人間は間違えることがありますが、経験や知識に基づいて臨機応変な対応を取ることができるのもまた「人」です。その意味で、他者から気付かされることもヒューマンエラーの有効な防止策なのです。
Safety-Iは、間違いがないことが安全であり、間違いをなくすことが目標だとする伝統的な安全管理の考え方です。システムが比較的単純であればSafety-Iでも対処可能ですが、複雑なシステムでは、間違いそのものをなくすことは難しく、異なる捉え方が必要になります。
Safety-Iが間違いをなくそうとするのに対し、Safety-IIはうまくいったケースを増やそうとするものです。Safety-Iは失敗の防止に焦点を当てますが、Safety-IIは成功の要因を強化することに焦点を当てます。間違いは起きるものだから、それをなくすよりも、仕事や作業が満足のいくレベルに達することを目指すべきです。そのため、Safety-IIでは、安全とはうまくいっている状態だと考えます。
先述したように人間は間違える存在ですが、それ以上に困難に対処していく柔軟さを持った存在でもあります。この柔軟性はレジリエンス(回復力・弾力性)と呼ばれます。間違いが起こってもレジリエンスがあれば、柔軟に対応して難局を乗り越えることができます。Safety-IIでは、この柔軟性を評価し、うまくやっていくことを目指すのです。
本書は、具体的な事例を通じて「間違い」にどう向き合えばいいのかを教えてくれます。間違いは避けられないものですが、その捉え方と対処法が重要です。リスクに対する安全性がますます重要視される今日において、本書は多くの人に読まれるべき貴重な一冊です。
私たちはヒューマンエラーにどのように向き合えばいいのでしょうか。それを教えてくれるのが、今回ご紹介する書籍『間違い学―「ゼロリスク」と「レジリエンス」―』(松尾太加志著、新潮新書)です。
著者の松尾太加志氏は現在、北九州市立大学特任教授で、2023年までは同大学の学長を務められていました。専門は心理学で、特に人とコンピュータの関係に関する研究で知られています。著書には『コミュニケーションの心理学 現地心理学、社会心理学、認知工学からのアプローチ』(ナカニシヤ出版)などがあります。
人間が関わる以上、間違いはゼロにできない
人は間違える存在です。人間である以上、間違いをゼロにすることは不可能です。重要なのは、間違いが生じてしまっても大きな被害を出さないようにすることです。間違っていることに何らかの手段で気づかせ、被害を最小限に抑え、うまく対処する。これが松尾氏が提唱する「間違い学」の基本的な考え方です。本書では、なぜ間違いが起こるのか、そのミスを大惨事にしないためにはどうすればよいのかについて、具体的な事例をもとに解説されていきます。ヒューマンエラーが悲惨な結果を招いた事例として、手術室で患者を取り違えた医療事故が紹介されています。これは1999年に実際に起こったもので、患者を間違えて手術をしてしまったという衝撃的な事故でした。事故が起こるまでの過程でいくつものポイントがありましたが、発端は看護師が違う患者に声かけをしたことです。手術前、患者のAさんに対して「Bさん、おはようございます」と看護師が間違えて声かけしてから、そのまま誰も取り違えに気づかず、手術に至ってしまいました。
「間違い学」の観点からは、誰に責任があったのかではなく、どうすればこのような事故が防げたかが重要です。この事例では、患者にフルネームを確認したり、患者に氏名が書かれたリストバンドを付けたりして明確な患者確認を行うべきでした。また、麻酔開始前に主治医と執刀医が患者確認を行うことがルール化されていれば、防げたはずです。
現在では、取り違え防止のために患者にリストバンドを装着させることが一般的になっています。バーコードも付けられ、それを読み込めばすぐに患者の詳細な情報がわかるようになり、とても便利になりました。
しかし、それでも完全に間違いを防ぐことはできません。なぜなら、リストバンドを患者に装着するのは人間だからです。本書では、リストバンドの付け間違いによって、血糖値が高くもない患者にインスリンを投与しかけたという海外の事例が紹介されています。IT化によりミスを減らすことはできますが、このような間違いを完全にゼロにすることは難しいのです。
ヒューマンエラーを予防する「外的手がかり」とは
では、どうすればヒューマンエラーを防げるのでしょうか。問題なのは、間違えている人が自分でその間違いに気づいていないことです。そのため、どうにかして間違えている本人にその間違いを気づかせることが鍵になります。松尾氏は、間違いを外から気づかせる手がかりのことを「外的手がかり」と呼び、ヒューマンエラーの有効な防止方法としています。外的手がかりは五つに分類されます。「文書」「表示」「対象」「電子アシスタント」「人」です。それぞれについて、本書で紹介されているインターホンの配線間違いの事例とともに簡単にご紹介しましょう。
インターホンの配線を行う際、正しい端子に適切なケーブルを接続する場面を想定してください。どうすれば正しく接続できるでしょうか。まず頼るのは「文書」です。わかりやすいマニュアルがあるといいですし、図解付きで説明されているとより効果的です。
あるいは、各端子のところに対応するケーブルの色を「赤」「青」「黄」「白」といったように「表示」しておくことも考えられます。ただし、それでも人間がその表示通りに接続するという保証はありません。それなら、最初から間違った接続ができない工夫をしておくべきです。例えば、対応したケーブルしか接続できないように、接続部の大きさを変えておくなどの方法があります。仮に間違えて接続しようとしても、形状が合致しないため、間違いに気づくことができます。これが外的手がかりの「対象」に該当します。
これまでの方法はハードに関するものでしたが、電子化によりソフト的な仕組みで間違いを防ごうとするのが「電子アシスタント」です。先ほどの、入院患者につけられたバーコード付きリストバンドなどはその例です。他にも、電子メールを送るときに件名の入力を忘れたまま送信ボタンを押してしまうと、「本当に送信していいですか?」という確認メッセージが表示され、間違いに気づくことがあります。このように、ヒューマンエラーを起こさないもっとも有効な方策といえるのは、人間に作業をさせないことです。機械化や電子化できるところはそうしたほうがよいのです。
最後は「人」です。人間は間違えることがありますが、経験や知識に基づいて臨機応変な対応を取ることができるのもまた「人」です。その意味で、他者から気付かされることもヒューマンエラーの有効な防止策なのです。
安全についての新たな視点:Safety-IIとレジリエンス
本書では繰り返し、人間が関わる以上、間違いをゼロにすることはできないと述べられています。重要なのは、間違いが生じてもその被害が大きくならないようにすることです。本書の第9章「ゼロリスクを求める危険性」では、安全や間違いに関して、安全心理学者エリック・ホルナゲル氏のSafety-IとSafety-IIという考え方が紹介されています。Safety-Iは、間違いがないことが安全であり、間違いをなくすことが目標だとする伝統的な安全管理の考え方です。システムが比較的単純であればSafety-Iでも対処可能ですが、複雑なシステムでは、間違いそのものをなくすことは難しく、異なる捉え方が必要になります。
Safety-Iが間違いをなくそうとするのに対し、Safety-IIはうまくいったケースを増やそうとするものです。Safety-Iは失敗の防止に焦点を当てますが、Safety-IIは成功の要因を強化することに焦点を当てます。間違いは起きるものだから、それをなくすよりも、仕事や作業が満足のいくレベルに達することを目指すべきです。そのため、Safety-IIでは、安全とはうまくいっている状態だと考えます。
先述したように人間は間違える存在ですが、それ以上に困難に対処していく柔軟さを持った存在でもあります。この柔軟性はレジリエンス(回復力・弾力性)と呼ばれます。間違いが起こってもレジリエンスがあれば、柔軟に対応して難局を乗り越えることができます。Safety-IIでは、この柔軟性を評価し、うまくやっていくことを目指すのです。
本書は、具体的な事例を通じて「間違い」にどう向き合えばいいのかを教えてくれます。間違いは避けられないものですが、その捉え方と対処法が重要です。リスクに対する安全性がますます重要視される今日において、本書は多くの人に読まれるべき貴重な一冊です。
<参考文献>
『間違い学―「ゼロリスク」と「レジリエンス」―』(松尾太加志著、新潮新書)
https://www.shinchosha.co.jp/book/611048/
<参考サイト>
松尾太加志研究室Webサイト
http://mlab.arrow.jp/
『間違い学―「ゼロリスク」と「レジリエンス」―』(松尾太加志著、新潮新書)
https://www.shinchosha.co.jp/book/611048/
<参考サイト>
松尾太加志研究室Webサイト
http://mlab.arrow.jp/
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