●知識には暗黙知と形式知の二種類がある
さて、先ほどちらっと言いましたが、実は知識には「暗黙知」と「形式知」と呼ばれる二つのタイプの知識があります。形式知というのは言語や文章で表現できる客観的、理性的な知識で、われわれが知識といったときに思い浮かべるのは通常、形式知です。
本で読むことができるとか、マニュアルに書いてあるとか、データベースに入っているなど、そういうものが形式知です。
●暗黙知には行動スキルと思考スキルがある
ところが、知識には暗黙知(tacit knowledge)と呼ばれるものもあり、これは言語や文章で表現することが難しい主観的、身体的な知識と定義されています。
暗黙知にも二種類あって、一つは「行動スキル」というもの、もう一つは「思考スキル」と呼ばれるものです。例えば、自動車の運転を考えると、何冊ドライビングマニュアルを読んでも自動車がすぐに運転できるようにはならないわけです。あるいは、「自動車の運転の仕方を説明してください」といわれて「前に行きたいときにアクセルを踏んで、止まりたかったらブレーキ踏んで」と説明しても、自動車の運転について全て説明したことにはならないのです。自動車の運転という行動スキルは、実際に自分で何度も自動車を運転してみて覚える身体的な知があります。つまり、体の中にその知識を染み込ませて、初めて車が運転できるようになります。だから、自動車を運転するという知識は暗黙知になります。
一方、自動車を運転していて、右折したいけれども前から車が来るとき、止まって待つべきか、スピードアップして先に右折するべきかという判断をしなければいけません。それも、何冊のドライビングマニュアルを読んでも分からないわけです。それは自分で実際に経験して、例えば後ろからクラクションを鳴らされて「今、行くべきだったな」とか、ちょっとぶつかりそうになって、ひやっとしたので、「今、待つべきだったな」ということを何度も繰り返しながら、初めて自分の中に右折のタイミングという知識が身に付くようになるのです。それは右折のタイミングというものが思考スキルだからです。
思考スキルと行動スキルには相互作用があり、行動スキルを身に付ける中で思考スキルも身に付いていくし、思考スキルを身に付けると行動スキルが、より増えるという関係です。
ところが、これは結構、切り離されてしまうこともあります。以前、ソフトウエアエンジニアの人と話していたのですが、その人いわく、昔は会社に新人が入ってくると、先輩がソフトウエアの書き方を教えて、その中で自然と、いいソフトウエアはどういうものとか、お客さんの要件を定義するとはどういうことなのかという知識を自然と伝えていくことができました。
つまり、ソフトウエアを書くという行動スキルを磨いていく中で、思考スキルも伝承されていくという関係性でしたが、今はどんどん新しい技術ができているので、大学出たての新人の方が、よっぽど行動スキルがあります。年齢が高い人より若い人の方が新しいソフトウエア技術についてよく知っています。そうして行動スキルを教える場がなくなると、思考スキルを教える場もなくなってしまい、ソフトウエアは書けるけれども、いいソフトウエアとはどういうものか、よく分かっていない人が出てきたりする、という問題も生じたりします。
●暗黙知と形式知の相互作用によって新たな知識が生まれる
暗黙知と形式知も、実は切り離されているものではなく、この相互作用、つまりお互いに行ったり来たりする中で新しい知識が生まれてくるという関係性です。
形式知には「氷山の一角」という言葉がありますが、氷山は海面上に突き出ているのがほんの一部分で、その下にはもっと大きな氷が隠れているわけですよね。海上で突き出ている部分が形式知だとすると、その背後、その下には膨大な暗黙知というものが実は隠れている。見えないけれども実はある、ということです。
暗黙知ということについて最初にいい始めたのはマイケル・ポランニーという学者ですが、彼は、「われわれは語れる以上のことを知っている」といいます。だから、語れないけれど知っていることはあるという関係性です。そうした知識もあるということを、まず自覚する必要があるということです。だから、形式知と暗黙知は完全に分かれているものではなくて、ともに同じ氷山だけれども、見える部分なのか、見えない部分なのかという違いです。
先ほど、相互作用と言いましたが、行ったり来たりということです。だから、暗黙知は形式知にとって必要だし、形式知は暗黙知にとって必要だと...