●北ドイツから英国へ、王に随行していったヘンデル
―― 前回はバッハが音楽史上、かなり特異な位置にあった話をうかがいました。音楽室に並んでいる肖像画ですと、その後、ヘンデルとかハイドンなどが続く時代がきます。ああいった方々は、どういう位置づけになるんでしょうか。
片山 バッハがドイツの地方都市であるライプツィヒで一生懸命仕事をしていた頃、まったく同時代人だったヘンデルは、ドイツからイギリスに渡ります。
その頃、イギリスの王室が絶えてしまうので、近い血筋から新しい王を呼ぼうという動きがあり、北ドイツのハンブルクに近いハノーファーの領主だった人が、イギリスの国王として迎えられました。ジョージ1世という王になりますが、もともとは「ゲオルグ」です。イギリスの王家(ステュアート家)と血のつながりがあるために連れてこられましたが、ドイツ語しかできない、つまり英語の分からない王になりました。
そのジョージ1世にハノーファー時代から仕えていて、一緒にロンドンへやってきた、雇われ音楽家がヘンデルでした。ロンドンに来た彼は、王のための音楽をつくる一方、近代市民社会ともいち早く関わっていきます。
●新興ブルジョワ階級の音楽嗜好に「合唱」で応える
片山 当時のロンドンは、商業革命から産業革命という時代の流れができて、近代市民社会がどんどん発達する時代でした。今われわれが生きる時代の、いろんなものをつくって取り引きするシステムを、植民地を背景に行い始めたので、ヨーロッパでは真っ先にブルジョワという階級が発達します。
ブルジョワには、突然金持ちになった成り上がりの人がたくさんいます。親の代までは貧しかったり、スコットランドやウェールズなど、イングランドの田舎の農村で生きていた人が、ロンドンへ出てきて商売をやったらうまくいったというケースです。ロンドン市民には、お金持ちになってステータスの付いたブルジョワがごろごろいたのです。そういう人は、ステータス・シンボルを求めます。それは、ヨーロッパ大陸で行われている、教会や王侯貴族の愛好する音楽に近づくことなのです。
―― まさに「教養としての音楽」的なところですね。
片山 そうです。当時だと、聞くよりもまず演奏する、つまり楽器で演奏してみる。ですが、楽器はやっぱりプロフェッショナルなもので難しいから、歌うことにする。そして...