●市民層の拡大で「分かりやすさ」を求められるクラシック
―― 前回うかがった19世紀を経て、第一次世界大戦も終わり、一般的に「革命と戦争の世紀」といわれる20世紀になっていきます。ここでまた、いろいろと状況が変わってくる。例えばドイツでは、以前にちょっと名前の出たナチスですが、ヒトラーのナチスは、まさにドイツ帝国をつくったワーグナーを旗印にして、ワーグナーの音楽とともに街頭行進するみたいなイメージの世界になっていきますし、また、ユダヤ系の音楽やアメリカのジャズのような音楽などは「退廃芸術である」として切り捨てようとしていったりもします。
ロシアでも革命が起きてソビエトができるわけですけども、ソビエト連邦を象徴する作曲家といえば、やはりショスタコーヴィチでしょう。彼は最初、非常にヨーロッパ的なモダニズム系の曲を書いていきますけれども、戦争の後になると、ロシアの共産党からジダーノフ批判などといった批判をされて、非常に分かりやすくて、革命を讃美するような曲を、ある意味で「書かされる」ようになってきます。この20世紀の動きについては、先生、どのようにご覧になりますか?
片山 20世紀への流れを簡単にいうと、18世紀の貴族や王や教会の時代が、19世紀になる頃から市民の時代になって、もっと労働者階級が増えて20世紀に入ります。19世紀でも大分、文化・芸術が市民たちに支えられる部分はありました。でも、さらに人の数が拡大し、それぞれの趣味に合わせて音楽も変われば、そういうものを聞くことによって市民も高度なものを理解するようになる。それがぐるぐる回って発達していった歴史があると思います。20世紀になると、さらに工場労働、会社の事務労働、それから軍隊といったセクションが、どんどんどんどん拡大していくわけです。
そうすると、第一次産業的な、こういうと怒られてしまいますが、別に教育をそれほど受けなくても親代々やってきたことで、とりあえずなんとかなるような産業に携わる人口は、相対的に減ってくる。義務教育の発達などもあり、それこそ「自由七科」じゃないけれども、国語や算数、理科、社会といろいろ勉強して、いろんな労働や軍隊生活などに対応できる知識・教養・技術を身に付ける人間のパーセンテージが増えるわけです。
これは、文明国であればどこの国でもそうなります。そういう人間を巻き込み、動員し、慣らして、束ねていくかたちで、音楽が発達する。そうすると、ベートーヴェンあるいはハイドンや、モーツァルトの晩年の頃の「分かりやすい音楽じゃないと、市民がついてこないから」というものと同じかたちが出現する。クラシック音楽とはいえ、分かりやすくないと民衆がついてこない。民衆を動員できない。
●群衆に陶酔を与えたショスタコーヴィチやプロコフィエフ
片山 戦争の時代になって、ナショナリズムを高めようというときに、難しい音楽を聞いても、連帯心が湧かない。そこで、すぐ口ずさめるようなメロディ、ベートーヴェンの交響曲みたいなものが、民謡調や革命歌、労働歌みたいな調子と結びついたりすることによって、あるいはアメリカだったら賛美歌などと結びついたりするようになって、国民というものを束ねられるような音楽として、クラシック音楽が発展を求められるのです。
もっとさかのぼればルターが宗教改革のときにやったように、「みんなで歌える歌じゃないと、みんながまとまらないんだから」というかたちで教会音楽が新しい状況を迎えたのとも同じようなことです。20世紀の「群衆、民衆、大衆の時代」になって、パイが拡大するなか、分かりやすい音楽を追求する流れが大きくなります。
第一次世界大戦期にその兆候があったとしても、特に挙げればそれは世界大恐慌の後ですね。世界大恐慌の後、みんなが勝手に楽しんでいればうまくいくんだというような幻想が吹き飛んでしまって、やっぱりアメリカはアメリカ、日本は日本で国民としてまとまって、一生懸命働いて、そこに社会主義的で公共政策的なものがたくさん入ってこないと、自由競争ではうまくいかないと言われる。
(その証拠に)ソビエト連邦はうまくいっているじゃないか。これからはやっぱり、みんなで共通の価値観を持って、束ねられて、国民的(ナショナリスティック)な力を発揮していかなくちゃいけない。そのためにクラシック音楽も寄与しなくてはいけない、というわけです。
ソビエト連邦においては、ショスタコーヴィチやプロコフィエフに象徴されるような革命歌や民謡、ロシアの伝統的な調子を生かしながら、それを絵巻物的な大きなカンタータや交響曲にする動きが盛んになります。決して難しくないんだけれども、時間的な規模もあって、普通の大衆歌を歌うのとは違った次元での陶酔に達する。そういうタイプのクラシック音楽が、...