●バッハの精神は19世紀の偉大な作曲家たちに受け継がれていく
バッハの死からおよそ1世紀後に、19世紀のドイツでそれまでほとんど忘れられていたバッハが再評価されます。その理由は、ドイツ自体がナポレオンに散々にやっつけられて敗北し、自虐的になっていたためです。
そうした状況で、ドイツ人であることに誇りを持たなければならないという主張が出てきます。その鍵となるのが、芸術、そしてドイツの音楽です。その筆頭として、100年ほど前にバッハという人がいたのです。バッハはドイツ人でありながら、「こんなに素晴らしい」といわれるようになりました。
このようにして、“バッハのルネサンス”が起こるのです。例えば、メンデルスゾーン、シューマン、リスト、あるいはショパンといった、作曲家がいます。リストはハンガリーから来ましたし、ショパンはポーランド出身の人ですが、実は当時の文化圏として、音楽は特にドイツ・オーストリア文化圏にあったのです。
これらの人々がバッハの音楽を一つの守り神、導きの星にしました。より良い音楽を書きたい。ただ、自分のための音楽ではなくて、歴史に残るような、より普遍的な意味を持った音楽を書きたい、とこれらの大天才たちでも思ったのです。
その時に学んだのがバッハです。よく、バッハの技法を学んだと思っている方がいます。もちろん、バッハは最高の作曲の技法を持っていたので、それを学んだというのは正しいのですが、しかし、上に挙げた作曲家たちは、それを学んだだけではありません。
バッハの精神、より普遍的な音楽の美しさを表現したいと思い、それぞれの方法でそれを表現しました。メンデルスゾーン、シューマン、リスト、そしてショパンもそれを成し遂げた、ということが非常に重要なのです。ある意味で、超越的な宇宙感覚のようなもの、その中に入っていくと、本当に星空の向こうに行ってしまうような感覚を得られる音楽を作り上げたのです。
ベートーヴェンも神様への思いを「交響曲第9番」の中で書いています。ベートーヴェンの時代は神様の存在を信じられない時代でした。しかし、「あの星空の向こうに、必ずやあの方がおいでになります」と書いています。やはりベートーヴェンも神様を信じたかったのでしょう。
そして、その音楽は非常に素晴らしいのです。これでベートーヴェンは歴史に残りましたね。でも、ベートーヴェンもこうした音楽をバッハやヘンデルから学んでいるのです。それは技術だけではなく、精神の問題ですね。その精神は、中世からのヨーロッパの伝統的な精神です。これが今回、本当にお伝えしたいことなのです。
●精神の解放としてのクラシック音楽
私たちはわずらわしい現代社会に生きておりますと、なかなかそういったわずらわしさから逃れることはできません。ただ、クラシック音楽を聴くことは、ある意味で精神の解放ですよね。私たちを取り巻く現実社会は面倒くさいことばかりです。しかし、クラシック音楽を聴いている間は、全て忘れることができますね。だから、忙しい人ほど、音楽を大事にする傾向があると思います。ですので、クラシック音楽は絶対に滅びないと思います。
ジョルジュ・デュアメルというフランスの作家が『慰めの音楽』という素敵なエッセイを書いていて、尾崎喜八の訳本があります。その中で、「音楽とは解放である」といっています。これは非常に力強い言葉だと思います。300年たっても、バッハの音楽がドイツだけではなく、日本でも聴かれて、私たちに幸せを与えてくれていることからも、そうした側面が感じ取れるかと思います。
●キリスト教と音楽の関係性の起源
さて、キリスト教と音楽の関係について簡単にお話しします。世界中にさまざまな宗教がありますが、キリスト教はユダヤ教から出てきました、キリスト教自体がある意味で「歌う宗教」ですので、音楽は非常に重要です。ユダヤ教の聖典である『旧約聖書』の中に「詩篇」という部分があります。詩篇150:3には「角笛を吹いて神を賛美せよ」と書いてあります。これがユダヤ教の一番重要な教えの一つです。そして、それをキリスト教も受け継いでいます。詩篇はダビデ王が書いた素晴らしい詩です。これを歌って神を賛美する習慣がユダヤの伝統にあります。キリスト教は、そうした教えを守るユダヤ教の一分派なのです。
さらにいえば、イスラム教もユダヤ教から出てきました。この三つの宗教は、お互いに仲が悪いのです。本当に残念なことですが、多くの戦争がこの三つの宗教をめぐって起きていますね。
私はユダヤ人のシロニーという偉い先生に、「あなた方は兄弟宗教なのに、どうして戦争ばかり起こすのですか」と伺ったことがあります。先生は唸って、「兄弟喧嘩ほど激しくなるものはない。ユダヤ教もキリスト教もイスラ...