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クラシックの特権性は平成の前半の段階でなくなっていた

クラシックで学ぶ世界史(13)これからのクラシック音楽

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
シリーズ最終回講義では、数百年間の音楽と歴史の関係を大胆に要約しつつ、今後クラシックはどうなっていくかについての予測をお聞きする。「歴史を担うもの」としての使命はもう終えたという言葉の真意から、2020年の近未来予測に注目したい。(全13話中第13話)
※インタビュアー:川上達史(10MTVオピニオン編集長)
時間:09:07
収録日:2019/08/26
追加日:2020/01/04
ジャンル:
≪全文≫

●「歴史を担うもの」というクラシックの使命の終焉


―― 特に市民革命の時代を挟んで現代までの音楽の流れと社会の動きのお話を今日はいただきました。非常に面白くて難しいと思うのは、今後、社会がどう変わっていくかという点です。というのは、もしかしたら今の音楽がある程度先取りしている部分があるかもしれないし、逆に社会の動きによって、また新しい音楽というのが出てくるのかもしれない。そんな状況だと思うのですが、今までの歴史を踏まえたうえで、音楽と社会の今後ということを考えたときに、何か今のヒントになるようなことなどお話しいただけることはございますか。

片山 私はクラシック音楽のファンなので、あまり寂しいことは言いたくないんですが、クラシック音楽に関していうと、少なくとも歴史を担うものとしては、もう使命は終えてきているかなという感じはありますね。

―― 使命は終えている?

片山 つまり、西洋のクラシック音楽においては、教会の秩序として信者を束ねるための音楽ということが一つの根源になっています。それが、教会では高位の聖職者、俗世では皇帝、王、貴族、彼らのステータス・シンボルとしての音楽と読み替えられていって、上のものに憧れる成り上がりの市民がそういうものを理解しようとしたことで、クラシック音楽の質が変わったり、あるいは下がってきたり、また市民が高いものを求めれば難しくなるということを繰り返しました。

 だから、バッハみたいにバロック時代に異端だったものが、シューマンやメンデルスゾーンの時代に(あるいはベートーヴェンの終わりのほうでもバッハは模範になっていますが)よみがえるというのは、やはり難しいものでないと満足できないくらい、市民の教養が成長してくるからです。

 そのように市民というもののステータスが上がることとクラシック音楽を鑑賞することはリンクするかたちで、20世紀までやってきました。もちろん、そのなかでも、これまでにお話ししたように、大衆的なものでまとまるのか高等的なものでまとまるのか、ということは出てきました。

 そのように回ってきたクラシック音楽なのですが、ここに来てステータス・シンボルとしての意味合いが薄れてきました。もちろん国によっては、中国のようにステータスを求める市民がどんどん増えていくなか、クラシック音楽が人気を博しているという現象はあると思います。しかし、高度資本主義国においては、ステータス・シンボルと文化の関係があいまいになってきました。多様化する社会のなかで、それらが結びつきにくくなっているのです。


●"one of them"になったクラシックとYOSHIKIのピアノ協奏曲


片山 「クラシック音楽を聞けば、高級だ」というのは、おそらく日本では高度成長期の時代までです。その後はロックを聴いているから歌謡曲を聴いているから低級だとかということではもうなくなっています。など。「若い頃は松任谷由実や吉田拓郎の曲などを聴いていたけど、歳を取ったらクラシックでないと恰好がつきません」という人はいるかもしれないけれど、それはもう全く主流でもなんでもないんです。いくら歳を取っても、やっぱりぼくらの世代はユーミンだったから、ユーミンを聴いていていいし、それで何の問題もありません。誰も「ステータス的におかしい」とは言わないわけです。

 クラシック音楽を聴くことによってステータスが上がっていくようなモデルは、20世紀まででしょう。一度大衆にまでそれが及び、そこで平準化したので、後はどれを選んでも、それなりの自分の価値観だということになってきました。クラシック音楽でないと担保されないということは、社会の意識にはなくなってきているのです。ということは、“one of them”になるということです。

―― そういうことなんですね。

片山 クラシックが好きな人もいてもいいけど、「それを聞いたら高級だ」というようなことではありません。だから、クラシックが好きな人はこれからもある程度いると思いますが、クラシックのポジションは変わっています。分かりやすい例でいえば、日本の場合だと、昭和までは東京オリンピックでも昭和天皇の崩御でも、国家的に大きなことがあった機会に出てくるのは、やはりクラシック音楽だったんです。ところが、平成の時代になると、天皇在位10周年とか20周年のときに、クラシック音楽は必ずしも出てこなくなりました。

 例えば平成の天皇陛下在位10周年の時です。この時は、まだ「クラシックとつながっていないと」という雰囲気はあったかもしれないけれども、X JAPANのYOSHIKIがピアノ協奏曲を作曲して、天皇陛下に捧げる形式を取りました。だから、クラシックといえばクラシックなんだけれども、セミクラシックといえばセミクラシックだし、限りなくポピュラーに近いといえばポピュラ...
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