●国民としての「束ね」が必要になってきた近代の国家
―― 世界史的によく言われるのが、1918年、ウィルソン米大統領の訴えた民族自決の原則です。第一次世界大戦の途中でしたが、ここから民族自決の運動が発生するといわれています。
芸術の世界で言えば、ワーグナーもそうですし、「国民楽派」と呼ばれる人たちも含まれます。また、チェコスロバキアのドヴォルザークやスメタナ、ロシアの「五人組」などですね。ロシアではムソルグスキーやボロディンなどが集まり、五人組を結成して、自分たちの芸術をつくっていきました。また、少し後にはなりますが、シベリウスのようにロシアからの独立を訴える音楽も出てくる。そのように、独立心や「民族の魂」を歌う芸術が、ヨーロッパ中で広まっていくということがありますね。
片山 そうですね。さかのぼれば、例えばモーツァルトの頃、ハプスブルク帝国ではドイツ語によるオペラをつくろうという運動がありました。国民というよりも、ハプスブルク帝国における政治が中心になって起こそうとした運動です。
すでに国家として体をなしていた国においても、ナポレオンやフランス革命以降、同じ言語で同じ文化を共有する人間を国民として束ねると、労働力・戦力として強い力を発揮することが注目されました。やっぱり傭兵では頼りないし、人数も集められない。なるべく少しのお金で工場で働いてくれる人を大勢集めたいし、軍隊に命を懸けてくれる人をたくさん出すためにも、やはり「国民」単位でないといけない。
それで、イギリスやフランスのような既成の国家が、「束ねる力」としてのナショナリズムというものを、言語ナショナリズムや、言語に伴う文化的なナショナリズムとして使ってきます。これはまた、ハプスブルク帝国がその矛盾を一番呈したところでもあります。まだ一般の人たちがそういう「民族意識」を持たない段階で、ハプスブルク帝国は、王と王の争いのようなかたちで、ハプスブルク家の当主が支配できる領域を増やしていったのです。
ところが、これが片やオスマン帝国から、また片や民族色強く、北ドイツの言語と文化伝統で凝り固まったプロイセンによって圧迫されてくる。そうすると今までどおりにはいかないので、オーストリアのドイツ人としての文化、ドイツ語を中心にがんばらなくてはいけなくなる。そういうことで、モーツァルトやハイドンの時代においても、ナポレオン戦争を戦うときでも、そういう「束ね」が必要になってきていました。それは徐々に変質してくるわけです。
●追いかけ合うエキゾティシズムとナショナリズム
片山 それを見ていると、オーストリア・ハンガリー二重帝国になっていくハプスブルク帝国の場合でも、その版図にあるハンガリーやチェコ、スロバキア、ルーマニアでも、当然同じです。みんな、それぞれの言語があるわけだし、だんだん文明が進み、民度や教育程度が上がってくると、「自分たちの言葉のオペラは、なぜないんだろう」という疑問が、だんだん怒りに変質してくる。そうすると帝国のなかに、いろいろな言語で「もう、いいですよ」という反発が出てきます。
しかも、帝国という環境下だから、ウィーンにいる人も「お互いにその帝国の中にあるものは認めなくちゃいけませんよ」とだけ言って見下しているわけにはいかない。ウィーンにいるブラームスが「ハンガリー舞曲」をつくりますが、これなど、もちろん音楽的にエキゾティックで面白いということはあるわけですけど、同じ一つの帝国の仲間ではないような感じですよね。
ブラームスから見るハンガリーの音楽はエキゾティックで面白いんだけれども、ハンガリーの音楽家からすれば、その音楽こそがナショナリスティックなものになるわけです。こういうかたちで、エキゾティックとナショナリスティックは、対による進行をしていきます。
例えばウィーンの作曲家が、チェコやスロバキアやハンガリーの音楽は面白いと思う。そうすると、「ウィーンから認められた。彼らは一応クラシック音楽では進んでいるし、政治・軍事面も進んでいるんだよな。そういうエリアの人間が、自分たちの民族音楽を面白いと思うんだったら、それを使って交響曲やオペラをつくって、何が悪いんだ」となる。つまり、エキゾティシズムとナショナリズムというのは、映し鏡のように交互に回るわけです。
回ることで、エキゾティシズムによって帝国の文化は豊かになるし、そこから独立した各エリアでは、エキゾティシズムとして帝国の人が受容している様子を見ながら、自分たちのナショナリズムを高めていくというふうになる。で、チェコだったらドヴォルザークやスメタナが出てくるし、ハンガリーだったらエルケルとか、そういう作曲家が出てくることになるわけです。
これによって、いわゆる帝国が求める...