●宇宙の調和としての音楽という考え方は啓蒙主義の出現とともに衰退
前回お話したように、天空に一つの調和としての宇宙の音楽があって、そしてまたその上には哲学があります。そして哲学は、実は神様のことを知るための学問だということです。
こうした考え方は、古代にはキリスト教がなかったから発展したのです。ですので、キリスト教の世界になるとまた考え方が変わって、キリスト教の神様が一番上にあるという理解になりますが、構造自体は変わりません。実際の音楽は、こうした神秘的な調和を実際に体験するためにあるという考え方です。古代ギリシア・ローマ、そして中世ヨーロッパを通じて、キリスト教が発展していきますが、キリスト教の教会音楽の根底に、こうした考え方が存在し、そのもとに素晴らしい音楽が作られてきたという事実は、案外知られていないことだと思います。
こうした音楽家は音楽によって神様に、そしてもちろん社会に奉仕しているという世界観は、バッハが生きた18世紀頃までは基本的に変わりません。学校でもこうした考え方を教わっていました。
しかし、バッハが生きていた1730年頃から、徐々に啓蒙主義が普及してきて世知辛くなってきました。啓蒙主義には良いことも多くあります。しかし、例えば先に述べたような考え方を「迷信だ」と言って軽蔑しました。迷信かもしれませんが、ものの考え方としては美しかったのです。
そして、もちろん自然科学もこうした考え方と関係がありました。例えば先ほどの星座の話は、天動説に基づいています。キリスト教は聖書に書かれている通り、天動説を取っていました。しかし、ガリレオ・ガリレイが「それでも地球は回っている」といい、地動説を主張しました。こうした変化をコペルニクス的転回といいます。人間の考え方がガラリと変わって、これまでの考え方を全部懐疑して、考え直そうということです。そのこと自体は良いことです。しかし、そうした考え方が例えば神の否定につながる。神様など信じたってしょうがない、ということになる。それで私たちの生活が終わるかというと、そうではありません。
日本人は案外、宗教的な人間だと思います。宮参りやお寺詣で、お盆などに見られるように、日本人は生活の中で1年中、超自然的なものに対する畏敬の念を持ち続けています。徐々に世界は宗教から離れつつあるというのが難しいところ...