●クラシック音楽をめぐるさまざまな問い
皆さん、こんにちは。樋口隆一と申します。今日は「バッハで学ぶクラシックの本質」というお話をさせていただきます。
私自身、バッハの音楽の研究、そして指揮を生涯の課題としてきました。また、音楽の演奏家や、それから音楽ファンの皆さんにも、さまざまな素晴らしい音楽がありますが、最後はバッハに戻るという方が多いのです。それはなぜだろうかということを考えてみたいのです。
それから、西洋のクラシック音楽の本質とはいったい何か。少し難しい話になるかもしれませんが、一度この問題についても考えてみたいですよね。
また、クラシック音楽はいったい何を表現したいのだろうということですね。これは案外分からないと思います。なんとなくムード音楽として、BGMとして聴いていて感じが良い。もちろんそういう側面もありますが、それだけではないだろうと思います。
クラシック音楽が表現するのは、単なる感情でしょうか。つまり嬉しい、悲しい、あるいは誰かが好きだといった感情でしょうか。もちろんそれもあると思います。しかし、その他にも何か特別な世界観や宇宙観がどうもありそうですね。その辺りが面白いところなのです。
そしてまた、西洋の文化の中で、どうもこのクラシック音楽は特別な位置づけにありそうです。
こういったことを、バッハのお話にたどりつく一つの前提としてお話ししたいと思っております。
●リベラルアーツのルーツはヨーロッパの学問的伝統にある
「リベラルアーツ」という言葉を最近、大学のいろいろなカリキュラムなどで耳にするようになりました。この言葉はどういう意味があるのでしょうか。ヨーロッパの大学、また大学以前の修道院の学校などの教育機関で、実は音楽が教えられてきました。そこには、七つの学科がありました。これらは自由7学科、また7学芸と訳されることもありますが、ラテン語では、「septem artes liberales」と呼ばれます。英語では、「seven liberal arts」となります。
「liberal」とは何でしょうか。よく学生から、選択しなくても良い自由な科目なのかという質問があります。少し誤解を招きますが、そうではありません。実は「自由」とは、そもそも古代ギリシアの自由人からきた言葉です。古代ギリシアは奴隷社会でしたから、奴隷が働きました。肉体労働は奴隷がするのですが、それとは別に、自由に考えて行動できる人間を「自由人」と呼んだのです。つまり、お金持ちであるなどではなく、精神的に自由という意味です。
古代ギリシア、あるいはローマに起源を持つ中世ヨーロッパの大学の基礎的な学問は、「7自由学科」と呼ばれます。これは、文科系の3科目と理科系の4科目に分かれています。3科目のことを、ラテン語では「trivium」と呼びます。具体的には文法、修辞学、弁証法(つまりは弁論術)、この3つです。これは当たり前ですね。当時はラテン語、ギリシア語を勉強したのですが、文法の正しい文章を書かなければなりませんでした。でも、どうせならかっこよく、あるいは説得的に書きたいですよね。それには修辞学が必要なのです。
ここまでは東洋でも同じですが、ヨーロッパの場合、もう一つ、口頭で相手を納得させる必要があります。これを弁証法、弁論術と呼ぶのです。テレビを見ていても、例えばドナルド・トランプ大統領のような政治家は、とにかく主張がすごい。日本人はどうしてもあのようにガンガン主張できないですよね。これは中世からの伝統で、相手を言い負かさなければ学問を成したことにならないのです。
私もドイツで学位を取りましたが、最後は口頭試問なのです。何人もの偉い先生を前に演説をして、恐ろしく厳しい質問が来るわけです。それをなんとか切り抜けて、勝たなければならないのです。これは最後の槍試合のようなもので、終わるとみんなが握手してくれるのです。「ここから先は仲間です」ということになるわけです。こういったことは昔からあったのですね。これが文科系の3科目です。
●中世ヨーロッパの基礎的な学問の一つに音楽が含まれていた
そして、理科系の4科目があります。これは少し驚くかと思うのですが、音楽、算術、幾何、天文学の4科目です。この順序は本によって、算術、幾何、天文、音楽、もしくは算術、幾何、音楽、天文などと異なります。いずれにせよ、種類は同じです。
算術、幾何は誰でも理科系の科目として考えるでしょう。それでは、天文学とは何でしょうか。これはまた後でお話ししますが、洋の東西を問わず昔の人は、人間の運命を知るために、何か空からメッセージが送られてきているのではないかといって、星を見ていろいろなことを考えました。星座というものがありますね。星座にまつわるすてきなお話がありますが、これらのお...