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岩倉具視らが近代の西洋システムを採用した目的とは

戦前日本の「未完のファシズム」と現代(2)分権構造と天皇の存在

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
岩倉具視
明治憲法下の政治制度は、強い分権構造によって成立していた。その背後には、天皇になり代わるものを作らせないようにするための仕掛けと、天皇陛下に対して「畏れ多い」という考え方があった。(2020年2月26日開催・日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「戦前日本の『未完のファシズム』と現代」より9話中2話)
時間:12:18
収録日:2020/02/26
追加日:2020/06/23
タグ:
≪全文≫

●明治憲法下の総理大臣はただの取りまとめ役だった


 天皇は黙っていて、鏡として上にいるのですが、その下で多くの人が動いていくことになります。そうして、行政においては内閣制度が作られ、総理大臣がリーダーシップを執ることになります。ところが、戦後の日本国憲法における総理大臣に比べて、明治憲法の総理大臣は、はるかに権限が弱いのです。閣僚のうち誰か辞めると言ったら、内閣は倒れてしまうほどでした。総理大臣は、いわゆる調整機能以上のものを持っておらず、大臣がそれなりに権限を持っていました。明治憲法下の内閣制度は、総理大臣が強権によって議論をまとめるといったリーダーシップを執れないような仕掛けになっていました。

 そのため、閣僚一人一人はそれなりに強い権限を持っており、総理大臣は取りまとめ役以上のものではありませんでした。総理大臣というと、ものすごくリーダーシップの執れる人かのように錯覚しがちです。しかし、明治憲法における総理大臣はそうではなく、歴史上、任命されてもすぐ辞退してしまう人は、かなり多い。面倒なのでなりたくないという人もかなり多く、固辞する人もいました。総理大臣とは、そういうものでした。


●枢密院はポツダム宣言において大きな役割を果たした


 かといって、国家の行政が内閣によって一元化されていたのかというと、そうでもありませんでした。枢密院という機関があります。1945年8月15日は、日本がポツダム宣言を受諾した日ですが、そのための御前会議では、戦争を続けるべきだという人と、ポツダム宣言を受諾するべきだという人の数が拮抗していました。そこに突然、枢密院議長の平沼騏一郎が現れ、受諾に賛成しました。そして賛成と反対の数が同数になり、鈴木貫太郎の提案で天皇陛下に御聖断を仰ぐことになって、結果として戦争を止めることになりました。つまり、ポツダム宣言の受諾において、枢密院は大きな役割を果たしたのです。

 枢密院は、衆議院でも貴族院でもありません。衆議院・貴族院は議会であり立法を司っていますが、枢密院は行政部にあり、内閣を監視し、内閣がおかしいことを言ったら枢密院が反対してその機能をストップさせることができます。つまり、行政の中も二院制のような仕組みになっているのです。これが明治憲法体制の特徴です。

 つまり明治憲法体制は、強い存在を作らない点に特徴があります。天皇に成り代わる強いものを出さないために、行政も枢密院と内閣で分かれているということです。しかし、政治を止めるというこの枢密院の役割は、大正時代から昭和にかけて問題になりました。当時の時事問題の解説などでは、枢密院があるせいで日本の政治は機能不全に陥りがちなので、この機能を弱めたり廃止してしまおうという議論もありました。朝日新聞社等も、『枢密院問題』という本を昭和の初期に出しており、そのくらい同時代的にも問題視されていました。


●貴族院と衆議院の間にも優劣がなかった


 立法はどうでしょうか。現在の立法府では、予算などについて、衆議院が最終的な優位性を持っています。それに対して、明治憲法体制における日本の二院制は、貴族院と衆議院の両者の間に、優劣はありませんでした。つまり片方が案をつぶす(否決する)と、それによって法律は絶対に通らなくなります。止まってしまうわけです。現代のような、貴族院で否決されても衆議院に差し戻して、再び良いと判断すればうまくいくというような仕組みは、明治憲法にはありません。

 ですから、貴族院と衆議院は対等の重みを持っており、日本国憲法体制下の戦後に比べると会期も短いです。つまり、お互いにつぶし合うものがあっても、少しだけしか国会を開かないので、すぐ決議が止まります。


●立法と行政は完全に分立していた


 司法に関していえば、裁判は多元的なわけではありません。今と同じように判決が下から上に上がっていく仕掛けになっています。しかし立法と行政に関しては、お互いがお互いを潰し合う仕組みになっています。行政であれば、内閣対枢密院です。だから枢密院議長になっても内閣を仕切れませんし、内閣総理大臣になっても、内閣を仕切れません。

 また、明治憲法は議院内閣制ではないので、衆議院で多数党になっても、そのリーダーが総理大臣になるとは、憲法上定められていません。いくら選挙で大勝ちする政党が現われても、天皇がこの人を総理大臣にすると決めなければ、総理大臣にはなれません。事実上、天皇は決めないので、元老や重臣が推薦するという仕掛けを取りますが、元老や重臣が推薦しなければ、いくら衆議院で議席を全て取ってしまうような巨大政党が現われたとしても、総理大臣になれないわけです。

 しかも、貴族院の議員は国民の選挙によって選ばれるわけではありません。衆議院は国民の選挙な...
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