●最後のチャンス「繆斌工作」に真剣に奔走する
―― そのとき(終戦直前)のエピソードとしては、中国の新民会で一緒だった中国人の繆斌(みょうひん)さんが蒋介石の(和平の)特使としてやってきて。これは歴史でもよく「繆斌工作」として出てくる話ですね。それにはずいぶんと……。
小澤 ええ、あれは真剣だったよ、親父は。本当に真剣。だって、日本はもう勝つ見込みはないわけですよね。
―― そのぐらいなるとだいぶもう……。
小澤 もう、やられてる。ミッドウェー海戦からやられてるでしょ。だから、あそこで蒋介石の特使として繆斌さんがいらして。蒋介石は「日本から、石原莞爾を出せ」と言ったんですってね。ところが、それが認められなかったんだそうですね。それで、もたもた、もたもたして。あの頃、本当に繆斌さんは始終、日本に来ていたし、親父は始終会ってたし。それで親父は、親父がとくに親しくしていた本庄繁さん。自殺なさったんですよ。その自殺する前ですけれども、親父は本庄さんのところへは始終行っていましたね、その頃は。それで、あれ(繆斌工作)を受けてくれと。それを天皇に進言してくれってね。本庄さんはもちろん、そのつもりだったんですよ。だけど、それが行かなかったのね。
そのうちに原爆が落ちちゃったわけですよ。だから、本当は広島と長崎の被害者は死ななくて済んだんですよ。早く決断してくださればね。
―― この繆斌工作も、きちんと経緯を残しておかないといけないですね。
小澤 そうですよ。
―― 重光(葵)さんなどが、外務省として、かなり反対だったようですね。陸軍のほうは、たぶん推したんでしょうけれども。
小澤 ああ、そうなの。
―― 全部ではないにしても、推す人もいたとは思うんですけども。
小澤 重光さん。そうですか。
―― ええ。重光さんは確か、繆斌さんが本当に信頼できるのかどうか、蒋介石と握っているのかどうかというところで反対された。
小澤 それが重光さんなんですか、その意見は。繆斌さんを信じ切れなかったんだね、あそこでね。
―― そうでしょうね。政府の中でも信じるべきか、信じざるべきかということで、両論出てしまったんですね。ただ、繆斌さんはそのあとで、(蔣介石に)銃殺されることになるわけですからね。
小澤 そうです。銃殺ですよ。で、一族、本当に苦しんでね。かわいそうでね。決断でき...
中華民国の政治家