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「こちらが信じれば、向こうも信じてくれる」を信念として

小澤開作と満洲事変・日中戦争(5)この戦争には勝てない

小澤俊夫
小澤昔ばなし研究所所長/筑波大学名誉教授
概要・テキスト
南京陥落
(南京中華門爆破、1937年12月)
果敢に中国の民衆への働きかけを行っていく小澤開作には、敵から懸賞金すらかかっていた。しかし、小澤開作は腹が据わっていて、恐れを知らぬ人だった。「運転手を夜遅く働かせたらかわいそう」と呑んだ帰りは1人で人力車で帰り、大使館からもらったピストルも携行することはなかった。何より、「こちらが信じれば、向こうも信じてくれるんだ」という信念を胸に、相手にまっすぐにぶつかっていったのである。だが、その小澤開作は、太平洋戦争が始まる前の昭和15年の段階で「この戦争には勝てない」と言い出した。(全10話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:17
収録日:2019/10/09
追加日:2020/10/12
≪全文≫

●腹が据わって恐れを知らず、運が強い


小澤 でもね、親父は、何かあの人は恐れを知らぬ人というか、何というか、腹が据わってるというか、首に懸賞金がかかってるんですよ、いつも。中国側から。

―― 敵からですね。それはそうですね。

小澤 小澤開作を殺れと。

―― (農村に入り込んでいく)浸透工作というか、そういう活動をやっているわけですからね。

小澤 だから、お袋が心配して、夜、宴会などで飲んだ帰りには、必ず自分の家に車があるんだから、運転手さんを呼んで、その車で帰ってきてくださいとお袋は言うんだけど、「夜遅く運転手なんか働かしちゃかわいそうだ」と言って、洋車(ヤンチョ)で帰ってくるの、人力車で。お袋はもう、いつも、ひやひやしてましたよ。夜遅く帰ってくるときは。いつも1人で平気で帰ってきちゃうんだもん。僕もひやひやしたな、だけど、それは。いつ殺られるかと思った。

―― 本当に肝が据わっていたということですね。

小澤 肝が据わってましたねえ。

―― けっこう開作さんも、あちこち行かれる機会が多くて。(電車の中で)たまたま出会った人と意気投合してお酒を飲んでいたら、(匪賊がその鉄道を)爆破したっていう話もありますね。

小澤 そうそう。その話は、親父から直接聞いたんですよ。恐らく奉天で乗ったんだと思うのね。列車に乗って北京まで、これはもう十何時間かかるわけですけれども。その乗った始発の駅で、一升瓶を持ってご機嫌で乗り込んだ。1等車は、一番先頭にあるんだそうですよ。それで、1等車まで行こうと思って歩いていたら、途中の2等車で知ってる人に会った。それで2等車に乗って、酒を持っていたから2人で飲み出して、1等車に行くのが面倒くさくなって、そのまま2等車で飲んだり、寝たりしていた。

 そうしたら、夜中に地雷に引っかかって、バーンと列車がひっくり返ったんですね。それでそのとき、すぐ敵から攻撃があると思ってね、「伏せろ!」と親父が叫んだんですって。みんな、椅子の下に隠れた。そしたら、もうバンバン、バンバン、匪賊(ひぞく)が撃ってきた。それで、30~40分経って、やっと日本の援軍が来て、救われたというんですよ。そのとき1等車は破壊されて、全員死んだそうです。だから、親父がもしそのとき知ってる人に会わないで、1等車に乗っていたら、死んでいたんですよ、確実に。

―― また、そういう時代で...
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