●常に常識を疑うことからイノベーションは始まる
西山 テレビの歴史番組でリーダー論をやっていたのですが、自分の言いたいことと似ている、すごくいい言葉に出会いました。「リーダーとは、今自分の目の前にある世界とは違う世界があることを知っている人」というのです。
今目に見えている世界があり、その範囲でより細かく物事を見がちですが、そうではない。今ある世界とはガラリと違う世界があるという発想ができる。しかも、それを単に空想ではなく、現実味があることとして思える人です。
私が役所でよく言っていたのが、「良い政策をつくるスタートラインは、常に常識を疑うことだ」というものです。ある部署に行ってまずやるべきは、その部署で誰も口にしない、議論する必要がないぐらい常識になっていることを疑うことだと。
最近のことは、まだグラグラしています。土台から積み重なっていく中、新しいものは最後に載ったものだからグラグラしている。「イノベーション(新機軸)」というとき、普通はこれをまた変えようとします。つまり些細なところをいじろうとしますが、これだとイノベーションにほとんど結びつきません。
やるなら誰も議論しないくらい、あまりに当たり前のこと。「えっ、そこ聞きます?」みたいなところを、「えっ、そうなのか?」というものに変えるのがイノベーション。それは行政でもビジネスでも同じだと思います。
●常識ではない電気料金の「総括原価主義」が常識として考えられていた
西山 例えば私が一番最初に携わった電気事業の規制で当時、一番当たり前のようにいわれていたのが、電気料金における「総括原価主義」です。1990年代前半、自由化が進む前の話で、新聞を見ても「電気事業」と入力すると、自動的に「料金規制」「総括原価主義」と出てくるといった具合でした。
しかし現実には、当時の電気事業はまったく総括原価主義ではありませんでした。新聞には、総括原価主義とは「総括原価に利益を上乗せして料金を決めること」と書いてあります。日本の電気事業法でそうなっていて、これで毎年儲かっているのはけしからん、というのです。
でも5分考えれば分かりますが、本当にかかった原価に利益を上乗せするのであれば、料金は毎年変動するはずです。原価は当然、毎年変わりますから、しょっちゅう上がったり下がったりします。
ところが当時の電気料金は、毎年完全に固定で改定されません。それなのに「日本の電気料金の総括原価主義は制度としておかしい。変えるべきだ」という。
制度を変えるのはいいですが、みんなが言っているからと「総括原価主義」についての議論はせず、もっと細かい話ばかり持ち出して「ここを変えろ」などと言っている。私から見るとどうでもいい議論ばかりして、総括原価主義については言わない。もし総括原価主義を採用しているのなら、まずはちゃんとした総括原価主義にすることを課題にする。
―― 確かにそうです。
西山 本来は問題設定をそうするべきで、つまりは原価の査定をする。本当の総括原価主義では、まずコストを査定して、そこに利益を上乗せします。料金が毎年変わらないのは、要するにコストを査定していない。総括原価主義ではないのです。
これは一つの例ですが、ビジネスでもそうだと思うのです。長年やってきたことの根底にあるものや、誰もがそうしていて議論にもならないことを疑問視する。特に日本のように、長く一つのやり方で続けてきた組織においては、そうすることでイノベーションが起きやすい。
―― なるほど。
西山 最近やったことを変えても、例えばそれは昨年なかっただけのことなので、たいした変化は起きません。もう30年やってきたことについて、「これ、本当の話なの?」と問うようにする。そうするといいと思います。
―― 確かに、そういう問い掛けはしません。「総括原価主義にしては、毎年、電力料金は一定だよね。原油の値段は、しょっちゅう変わっているのに」と。普通に考えたら、おかしいです。
西山 丁寧にいうと「燃料費調整」というものが付いて、燃料費部分は動きますが、それ以外のところは、ずっと変わっていません。
●ZARAのビジネスモデルは1970年代の日本にあった
西山 それからもう一つ、ある種、(日本企業に)元気を出してもらうためにいうと、日本発のビジネスモデルは実は結構あるのです。ただ、それをグローバルに展開するのが、あまりうまくなかった。
例えば3、4年前、ファッションインダストリーでグローバルにすごく成功していたスペインのZARAという企業があります。ここが何をしている、あるいはしていないかというと、広告宣伝費をまったくかけないのです。いわゆるマス広告は一切やりません。また、よくあるような春・夏・秋・冬に合わせて...