●プログラミング用語を知っているのが「デジタル人材」ではない
西山 おそらくもう一つあるのは、完全にアメリカのような社会になるのがいいかどうかは置いておいて、日本の会社の流動性が非常に少ないことです。基本的に会社に勤めれば、少なくとも大企業の場合は、その会社にずっといます。
「横に見る」という作業は、自分が本来接しているのとは違う世界をイメージできないとできません。例えば、やや乱暴な意見ですが、日本の多くの企業は業界紙を読んでいて、その業界紙に書かれた情報は、その業種でほぼ同じビジネスをしている別会社が、何をやっているかの情報です。それは縦に極める場合は意味のある情報ですが、横に切ろうとすると、まったく意味のない情報になってしまうのです。自分と同じようなことをやっている人が、同じようなことをやっていると確認するだけですから。
同じようなことをやっている人は、同じようなことをやっているに決まっているので、(「横に見る」という作業の場合、)そんなことはどうでもいい。それよりも、同じようなことをやっていない人と自分との共通点は何かを知る。先ほどの言葉を使えば、「抽象化」する発想を持つ。
これを相当トレーニングしないと、経営リーダーとして経営判断はおそらくできないし、現場にいても新しいプロダクトやサービスを考えたり組織を変えたりするのは、難しいと思います。
例えば本屋の「情報化」というコーナーに行くと、山ほど本が並んでいます。プログラム言語ごとにさまざまな本があり、これらを見ると、おそらく情報化やデジタルとは、細かい技術・知識の総体のように思います。その結果、細かいことをたくさん理解しようとしてしまう。
もちろん、ある分野のエキスパートになるにはそれも必要ですが、一番大事なのは、デジタルとは先ほど言ったような原理、発想の上に成り立っていると、まず理解することです。さもないと先ほどのチューリングの話を「部品の組み合わせ」と理解したのと同じです。
つまりデジタル化とは、たくさんあるプログラム言語を覚えることで、「たくさん覚えてチャンピオンになる」というような発想になってしまう。その理解はおそらく間違っているので、まずはデジタル化の構造や原理を理解することが大事。
それも難しい表現ではなく、それぞれの人が実感を持てるように理解することが非常に大事です。そのことを抜きに、デジタル化はなかなかできないと思います。
●知識や技術ではなく、「どう使うか」という「気づき」の問題
―― 今の組織、今のやり方でIT化しようと一生懸命頑張っても、ますます離れていくだけで、負けてしまうということですね。
西山 そうです。私自身、プログラムを書けるわけでもなく、その意味では何の専門家でもありません。それを前提で申し上げると、これからの若い人の教育について、よく「IT人材、デジタル人材が足らない」といった言い方をします。しかし、これだけデジタル化が進むと、デジタル人材という区別そのものが変です。
「デジタル人材」というと、どこかに細かいことをたくさん知っている人がいて、そういう人を目指すという話になります。しかし、それは間違いで、デジタル的な世界に慣れ親しめる基本的な考え方や発想を持つことが大事なのです。
確かに本をたくさん読めば、プラスになる面はあります。ただ、それは専門書をたくさん読めばいいという話ではなく、「気づき」の問題です。
「気づき」がないと、どんなにたくさん勉強して、大量の知識を導入しても、たぶん意味がない。逆にいえば、ちょっとした気づきがあれば、何でも分かる。「あっ、これって、こういうことなんだ」と見えてくる。おそらくこれが、なぜ日本の産業やビジネスが負け続けているのか、それを一番合理的に説明できる理由だと思います。
知識量の問題なら、みんなサボっていたわけではないから、説明がつきません。勉強し、知識を導入し、技術も極めたけれど、「それをどう使うか」という基本的な発想、気づきが欠けている。それがないから、知識も技術も生きない。そういうことが起きているのです。
しかも先に議論した通り、日本の企業もどんどん経済的に安定した結果、組織として成熟してしまった。そのため、ますます横に切るよりも、縦を極める方向に向かっている。
どの会社でも、先輩から「去年、俺は15個やった。当然、後任なら17個ぐらいやれ」といった話をされる。もう最後は何個あるのか、分からないといった話になってきます。本来そこはどうでも良く、「自分のやった15個は忘れてくれ」と言わなければいけない。それができず、縦に極めようとしてしまう。その呪縛から抜けられないというか、それ以前に気づいていない、たぶん。
繰り返しになりますが、コンピ...