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『論語』で「義を見てせざるは勇無きなり」と説いた真意

渋沢栄一の生涯と教養としての『論語』(6)仁と義

田口佳史
東洋思想研究家
情報・テキスト
「礼」を求める『論語』が最も大切にすることばが「仁」であるのは周知の事実だ。しかし、「仁」と現代社会が密接な関係にあることは忘れられがちである。「仁」とは人が生まれながらに社会に属することを示す言葉。社会性の中で生きるたしなみを説いたのが「仁」である。では、「義」とは何だろうか。(全9話中第6話)
時間:07:48
収録日:2020/03/03
追加日:2021/08/22
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≪全文≫

●人が生まれながらに社会に属することを示す「仁」


 『論語』から学ぶこととして、『論語と算盤』という渋沢が書いた書物を参考にしていきます。この書物の中で彼が主張している『論語』に関することとは何か、さらに渋沢の考え方である「経済道徳合一論」を、彼は『論語』のどこから学んだのか、について申し上げていきたいと思います。

 当然の教えとして、『論語』が「仁」を説いているのはお分かりの通りです。そこで、「仁」とはいったい何かに少し触れてから、文章のほうに入ったほうが分かりやすいでしょう。

 「仁」というものは、人偏に二つと書いてあります。これは人間が2人です。組織論というものがどういう基底から始まっているかというと、2人の人間が共同するところから組織が始まる。1人を組織とは言わないわけで、2人以上の人間が寄り添うことです。

 人間というものは生まれながらにして社会に属している、社会の一員として自分は生まれてきたということを自覚せざるを得ないのが人間であるということを説いているのが、「仁」という字なのです。

 象徴的にいえば、仁がないと書く「不仁」という言葉があります。これは、漢方のほうでは半身麻痺のような症状を指すそうです。つまり、社会に関与していないというのは麻痺している人間の状態であるということを表しているわけです。


●あまく見られがちな「仁」を補佐する「義」


 「仁」を説く『論語』の最大の要点として、まず前提は言うまでもなく、人間が社会的な産物であり、社会の中で暮らしているということになります。山奥で一人で住んでいるなどということは成り立たないということを、まず前提にしております。まず、ここをよく知っていただくといいと思います。

 孔子はその上で「仁」を説いたわけですが、「仁」の訳語としてよく出てくるのは、慈悲心や思いやりのようなものです。これらは、どちらかというと「他人を慮る」ということを非常に強く要求する言葉です。

 こればかりになってしまうと、人間関係や社会が甘くなってしまうと言って、これを改めるべきだと主張したのが、100年後に生まれてくる孟子です。孟子は「仁」ばかりでは駄目だ、そこに「義」がなければ駄目だと言って、「仁」と「義」というものをペアで扱うべきだと言いました。

 「義」とは何かというと、自分の役割を責任を持って果たすことです。そういう気持ちが個人個人のそれぞれにないと駄目なので、思いやりは懸命に自分の役割を果たそうと頑張っている人にかければいい。全体に一律な思いやりをかければいいというのはかえってよくない、という考え方ですから、「仁」と「義」を重要視します。


●「義を見てせざるは勇無きなり」の真意とは


 私が最近の日本社会で非常に危機的に感じるのは、枝葉末節の話ばかりが行き交っていて、本質論があまり聞かれないところです。日本人の大方が本質を見失っているといっていい。ここが第一です。

 二番目に気になることは、他責ばかりで自責があまりないところです。その裏返しとして出てくるのが「自分をもっと慮ってくれ」「思いやりを持ってくれ」ということなので、「他人に対する思いやりが重要だ」と主張する人が非常に多くなっています。孟子のいう「義」に基づいて、自分の役割をしっかり果たすことがあって初めて「仁」が成り立つということを忘れている人が多いのではないかと思うのです。

 自分の役割をしっかり果たしていくには、自分の立場もあるし、自分の今の状況もあります。しかし、自分がどんな状況にあっても「義」は果たさなければいけない。それを「義を見てせざるは勇無きなり」と『論語』ではいいます。「勇気がない」と言われているわけです。やはり「義」を果たす、自分の役割を果たすということが非常に重要なのだということです。

 もう一つ、この「義」には筋道というものがあります。「義を見て」では、何かが自分に与えられるときには必ず「義」を考えろといわれているわけです。「義」も何も分からない、自分が与えられる筋合いがないようなものをもらうところに犯罪というものが起こります。つまり、「義」がなければ、それを自分が得ることはできないのだと思ったほうがいい。

 この教えとして「得るに義を思う」というフレーズもありますが、非常に重要なことではないかと思っています。「仁」と「義」というものは、二つで一つの前提をなす、ということです。
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