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20世紀型の全体主義とは違う現代の「デジタル全体主義」

デジタル全体主義を哲学的に考える(1)デジタル全体主義とは何か

中島隆博
東京大学東洋文化研究所長・教授
情報・テキスト
『全体主義の克服』
(マルクス・ガブリエル著、中島隆博著、集英社新書)
SNS等を通じて誰もが自分の意見を発信することができる今、20世紀型の全体主義とは異なる「デジタル全体主義」が登場している。あらゆる情報がデータ化され、一部のエリート層によって社会が動かされることにより、「無用者階級」が生み出される懸念もある。社会の格差や分断が広がる中で、どのような社会を目指していけばいいのか。(全7話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:14:43
収録日:2021/05/28
追加日:2021/11/05
≪全文≫

●20世紀型の全体主義とは異なる形の全体主義が登場している


―― 皆さま、こんにちは。

中島 皆さま、こんにちは。

―― 本日は中島隆博先生に「デジタル全体主義を哲学的にどう考えるか」というテーマでお話いただきます。中島先生、どうぞよろしくお願いいたします。

中島 よろしくお願いいたします。

―― 今日は哲学講義ですが、いろいろな哲学者の紹介というよりも、現代的な問題を哲学的にどう考えていくかについてお話をお伺いできればと思います。

中島 はい。

―― テーマが「デジタル全体主義」ですが、ちょうど中島先生がマルクス・ガブリエルさんと一緒に、『全体主義の克服』という大変興味深い本をお書きになっているので、こちらをベースにお話を伺っていければと思います。

 まず、最近よく聞かれる「デジタル全体主義」という言葉は何を意味しているのでしょうか。

中島 「全体主義」という言葉自体は20世紀の概念です。21世紀にはもうそれをとっくに克服して、過去のものになったとわれわれは思っていました。しかし、新しい形での全体主義が登場してしまっているのではないかという疑問から問いが生まれて、「デジタル全体主義」が登場してきたと思います。

―― この本に書かれていることでいうと、例えばソ連やナチスドイツなどの20世紀型の一般の全体主義とは非常にイメージが違います。昔は強制したり、密告を強要して、例えば誰と誰が仲間なのかという情報を国家が全体主義的に集めていき、統制していくイメージでした。

 それがデジタル全体主義になると、むしろ人びとの側が、例えばグーグルやフェイスブックに自発的に情報を出していってしまい、そのデータがビッグデータとして使われて、社会として全体主義的になっているのではないかという主張です。こうしたイメージの認識で正しいのでしょうか。

中島 はい。ある意味で非常に不思議なことが起きていると思います。

 20世紀型の全体主義は、例えば特殊警察などを使って、人びとの頭の中の思想をつかもうと大変な努力します。おっしゃるように、密告が奨励されたり、さまざまな形の拷問が使われたりしました。それによって、何とか思想をつかむことが大きなテーマだったと思います。

 ところが21世紀になってくると、もはやそういう必要がありません。皆さんがそれぞれの仕方で自分の思想・信条をインターネット上にアップして、自発的に情報を上げることになっていると思います。昔は上からなんとか監視しようとしていましたが、今は逆に“私を正しく監視してほしい”のです。

―― 監視してほしいになるのですか。

中島 はい。やはりそういう欲望のほうが強くなってきています。

―― 監視してほしいというのは、どういう欲望なのでしょうか。

中島 自分を監視してほしいというのは、おかしな話です。

 しかし、コロナ禍でも明らかになってきたと思いますが、やはり私のあり方が国家と非常に結びついています。例えば健康もそうで、健康は一種の義務になりました。国民の義務としての健康になっていて、私が健康でいることを国家にきちんと保障してほしいという欲望が出てきていると思います。そうして、“私を適切に管理して、監視してほしい”という欲望が表に出てきてしまいました。

 今、健康の話を申し上げましたが、健康だけではなく、私というものの思いも国家が適切に管理してくれると、私は非常に生きやすいという奇妙な欲望が現われてきたように思うのです。


●労働の目的や意義を失った「無用者階級」が生み出される未来


―― その裏・表になるのかもしれませんが、もう一方で、ユヴァル・ノア・ハラリが著書『ホモ・デウス』で、用はない階級である無用者階級ができてくると言っています。AIの発達もあると思いますが、要するに、エリートが情報を全て握る位置にいて、ビッグデータを活用して、社会を設計的に回していって、他の人たちはただ無用な階級になるということです。

 これは悪い言葉でいうと、上級国民・下級国民だと言う人もいて、社会がそうして二分化されてしまうのではないかという議論まであります。デジタル全体主義が行く一つの方向として、あり得るのでしょうか。

中島 根っこのところでやはり同じ問題が問われていると思います。私たちは一体何を望むのかという問いに対する答え方の問題だと思います。それには実は望みがないという恐ろしい答えも準備されているのです。

 私も『ホモ・デウス』を読んだときは、本当にもう震えるような思いがしました。ハラリが「無用者階級」と言ったときも、「無産者階級」に対比して言っています。マルクスのいう「無産者階級」であれば、それに対して何らかの手当てを与えたら、労働者として働くことができました。

―― そのためマルクスの時代...
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