●先祖の彫像を見つつ学ぶローマ人の教育
―― 前回、先生から騎士道と父祖の遺風の比較の話がありました。ローマ時代は、末期ではキリスト教になるものの、それまでは一神教ではない社会が続いていました。騎士道の場合は明らかにキリスト教道徳があり、騎士道精神がそこに付随するものとして位置づけられると思います。一方、武士道は多神教の国の文化であり、父祖の遺風も多神教だった頃のローマ帝国の共和政の伝統を引いているところがあると思います。先生は、そのあたりの違いについてお感じになるところはありますか。
本村 なかなかいい指摘をしていただきました。神々を、つまり多様な価値観を信じている時代であり、一方、中世の騎士道はむしろ一神教的なキリスト教の中で興ったことだということですね。(その違いが、)私自身、武士道と比較するのは騎士道よりもむしろローマ人の父祖の遺風のほうが適当だと思ったことの一つのファクターではないかという気がします。
父祖の遺風は、何よりも子どもを教育するときに、いろいろなことをどう考えるべきかの一つのよりどころになっています。子どもの教育は実に先祖代々行われてきたことで、ローマ人の場合はそれなりの家族を訪ねると、今でいえば写真があるように、自分の祖父やそのまた祖父の彫像が残っているわけです。
彼らは(彫像を見ながら)日常的に「このおじいさんはこんなことをした。ひいおじいさんをこういうことをした」と話題にしている。それを聞きしながら、子どもたちは育っていくことになります。そのときの子どもたちの意識としては、やはり彼らに負けないような人になろうという意識が強かったのではないかということです。
●父親の教育責任を主張したローマの国粋主義者
本村 日本ではよく2世や3世議員になった人たちはたいしたことがないと目され、「親の七光り」と呼ばれたりします。しかし、ローマの元老員などを見ると、2世、3世どころか、5世、6世、8世がいくらでもいるわけです。
そういう中、彼らの心に刻まれたのは、常に祖父や曽祖父、さらにご先祖様に当たる人たちがどういうことをして、どういう業績を上げたか、ということです。家の物語を聞かされてきた彼らが、それよりももっとましな人間にならなければいけない、という形で自分自身磨きをかけるところがあります。
子どもたちが親やご先祖様の業績や話を聞いて、それを倣いにしようという考え方を持つ一方、これは武士道とは少し異なるところだと思うのですが、親が子どもの教育を非常に大事にしています。大事にしているというのは、子どもを教育することに関しては、父親が全面的な責任を持つべきだということです。
紀元前3世紀後半から2世紀前半にかけてハンニバルをくだしたスキピオの好敵手だった国粋主義者の代表に、カトーという人物がいます。好敵手というのは、ちょうど同時代に生まれ、年齢もほぼ同じぐらいだったのですが、この人は非常に強い国粋主義者で、ローマの気風をつくる点について非常に厳格だった人です。
実は彼の唯一の欠点といえそうなこととして、スキピオの大成功への嫉妬があります。しかも、世界史上有数ではないかと思われるほどの非常に大きな嫉妬を、それだけ優れた人間が持っていたわけです。
そのカトーが、子どもの教育に関しては、「自分の妻や子どもに対して暴力を振るうような奴は男の風上にも置けない」ということをいっています。当時は奴隷制があったため、それだけの時間的な余裕があったのでしょうが、子どもの教育には、特に男の子の場合はやはり父親が全面的な責任を持つべきだと主張しました。
もちろんお金持ちは家庭教師などを雇って教育できるわけですが、それでもやはり読み書きから始まって、水泳や剣術などの基本は自分が教えるべきである。また、子どもが病気をしたときは自分が付いてやる。さらに、子どもの教育をしている母親を励ましたり、いろいろな手伝いをしたりということを、非常にまめにやるのです。
子どもを教育していく上でカトーが述べた大事なことの数々は、武士道には残念ながら欠けているところではないかと私は思います。そうした点がもう少しあれば良かった。武士道では主君に対する忠誠心を説き、国家のため、主君のため、あるいは親に対して忠実であり、それを大事にすることを唱えていますが、やはり子どもに対する配慮という面ではやや欠けているところがあるのではないかと思います。
基本的に中世の騎士道では、戦士どうしの間では卑怯なことをしないというようなことはあっても、生き方全般にかかわるところはやや希薄な気がします。それと比べると、父祖の遺風と武士道を比較して、重要な点として浮かび上がってくるのは誠実さです。しか...