●プーチンと習近平の登場
中西 そして、ポスト冷戦時代の第3期が、2012年頃から今日までの10年余り。この時代が最近の一番荒れた、世界激変の時代です。2012年が非常に重要な曲がり角でした。
なぜかというと、先ほど申し上げた通り、この年にプーチンがもう一度、いったん退いた大統領職に戻ってきた。ところが、戻ってきたプーチンは以前のプーチンとは違って、非常に強面で、いきなり国民を弾圧し始め、民主化を唱える勢力を目の敵にして次々と取り締まり始めるのです。
2012年の反プーチンデモが、彼にとっては大変ショックだったとよくいわれます。それ以後、今日のプーチン全体主義といってもいい、(ソ連の)スターリン体制に匹敵するほどの、ロシアにつながるのは、やはり2012年以後のことだったと思います。
それから2012年は中国で、それまでの習近平副主席が共産党の総書記に就任して、胡錦濤に代わり中国ナンバーワンの地位に就いた。その当時、習近平はどういう人物か、多くの人はまだよく分かっていなかったと思います。
ところが、2012年9月、当時の民主党政権(野田政権)が尖閣諸島を国有化したのですが、その直後に代わって登場した習近平総書記の中国共産党は、中国の海警(日本の海上保安庁にあたる)の巡視船が8隻も、日本の尖閣諸島周辺に一挙に領海侵犯し、長期間にわたり居座らせました。これはかつてないほどの敵対的行為だということで、驚きました。
その2年前にしかし、尖閣諸島沖で中国漁船衝突事件があったので、日本では「またやっているな」程度にしか実は考えなかった。ですが、胡錦濤政権のやり方と習近平政権のやり方は実は全然意味が違っていたことが、後で分かるのです。
私はその時に「これはやはり深刻なことになる」ということを直感しました。
というのも、2009年、民主党の鳩山政権時だったと思いますが、習近平副主席(当時)が訪日したわけです。日本にやってきて、「どうしても天皇陛下に会わせろ」と言った。これにはわれわれは驚きました。天皇に謁見できる外国の訪問客は、少なくとも1カ月以前にその申請を出さなければならない。これは例外なしに、アメリカ大統領でもそうで、日本政府の方針は確固としたものです。それを無視して習近平は、「どうしても会わせろ」と中国外務省を動かして、日本政府に強圧を加えたわけです。ご承知の通り、日本政府は(譲歩して)結局、習近平のいわば“わがまま”、横車を通すことを許してしまったのです。
これには、習近平が将来抱くであろう「日本与しやすし」という日本観をある種、決定づけるのではないかという非常に大きな危惧感を持ちました。あの時が一つの大きな日中関係の分かれ道になっていったのだと思います。
いずれにしても2012年は、習近平が正式に中国のナンバーワンになったということで、世界情勢の非常に大きな分かれ道の年だったと思います。
●オバマ大統領が与えた深刻な影響
中西 それ以外にも、アメリカではオバマ大統領が再選され、非常に弱い姿勢で、この第二次政権のオバマ大統領は「アメリカは世界の警察官にはならない」ということを言ってしまったわけです。2013年、シリアの内戦問題をめぐる時です。これは危ないことだなと思いました。世界の警察官になるかならないか、そんなことをわざわざ口に出して言う必要はない。むしろ「シリアでアサド政権が毒ガスを使ったら、アメリカは介入します」ということを、以前にオバマは言っていたのです。ところが介入できなくなった。これはアメリカの国内政治、議会の問題だったのですが、そうしたら途端に「もうやめました。というのもアメリカは今後、世界の警察官になることをもうやめていますから」。こう言ってしまったわけです。
こんなことを言ったために、世界中で「待っていました」とばかりに、プーチンのロシアも、習近平の中国も、あるいはイスラム体制のイランも、北朝鮮も、それ以外の国あるいはイスラム国という当時勃興し始めていたイスラムテロリストたちも、世界で一斉蜂起のように動き出しました。
それだけではなく、「待っていました」というのは民主主義国における極右勢力もそうです。「やはりオバマのようなリベラルはダメだ。ナショナリズムで、自国ファーストで、ぐいぐいと自国の国益を押していく。世界のことなど構っていられないということで、もうアメリカは自分のことだけをやるべき時代になっているのだ」。こんなことでもって、国際的な連携や協調を否定するような民主主義国の右派勢力(「保守強硬派」と呼ばれます)が一斉に、「これからは俺たちの主張が通る時代だ」と考え始めた。オバマ大統領の罪は非常に大きかったと思います。
私は親米的な立場に立つ人間ですけれども、アメリカの大統領でどうしても辛い点を...