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「日本人に土地を売ったら死刑」という法律までつくられた

本当のことがわかる昭和史《5》満洲事変と石原莞爾の蹉跌(4)激化する革命外交と排日運動

渡部昇一
上智大学名誉教授
情報・テキスト
王正廷
シナ国民政府の革命外交の方針はさらに強まり、加えて排日運動はさらに激化し各地で暴動が発生した。さらに、満洲では満鉄利権を脅かすように満鉄を包囲するかたちで鉄道が敷設され、日本人に土地を売った者は売国犯罪者として死刑その他に処すという法律までつくられ、排日教育も盛んに行なわれた。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第五章・第4回。※本項には該当映像がありません。
時間:00:09
収録日:2015/02/02
追加日:2015/09/07
≪全文≫
 一方、シナ国民政府の革命外交の方針は、さらに強まっていく。昭和6年(1931)には、「外国駐屯軍の完全撤退」「治外法権撤廃」「租借地の回復」「鉄道利権の回収」などが外交目標として掲げられるに至った。同年4月14日、上海総領事だった重光葵が王正廷外交部長と会見するが、その場で王外交部長は「革命外交は自分の真意であり、租借地・鉄道利権の回収には、もちろん旅順・大連など関東州と満鉄の利権が含まれる」と答えたのであった。

 加えて、排日運動はさらに激化していった。昭和5年(1930)5月にはコミンテルンの指示で満洲・朝鮮国境の間島地方で暴動が発生。日本領事館や、発電所、交通機関、親日朝鮮人家屋などが襲撃されている。

 このような暴動は各地で発生しており、昭和5年には年間100回近くの衝突事件が起きていた。

 さらに、満洲では満鉄利権を脅かすように満鉄を包囲するかたちで鉄道が敷設され、日本人に土地を売った者は売国犯罪者として死刑その他に処すという法律までつくられ、排日教育も盛んに行なわれた。

 これではたまったものではない。在留邦人は盛んに日本政府に対応を求めたが、幣原外相は腰を上げようとはしなかった。昭和5年10月に、間島地方の竜井村市内を巡察中の日本警官がシナ軍隊から発砲を受け、2名が殉職、1名が重傷という事件が発生した折には、日本は応援として警官百名余を派遣したが、幣原外相は「日支対立を深める」と、この増援に反対し、11月5日には反対を押し切って応援警官を引き揚げさせている。

 そんな中で、万宝山事件と、中村大尉殺害事件が起きる。

 万宝山事件は、昭和6年7月2日、長春郊外で水路工事を行なおうとした朝鮮人農民(当時、朝鮮人は日本人であった)を、中国人農民が襲撃した事件である。当時、満洲では朝鮮人が迫害対象となることが多かった。現地では日本警官が介入して朝鮮人たちを守ったため死者は出なかったが、朝鮮の中では反シナ人暴動が起きてシナ人が殺害される事件が起きている。

 そして同年6月27日、中村震太郎陸軍大尉が北満洲で地誌調査中にシナ兵に捕らえられて殺害されていたことが、七月に入ってから発覚する。日本は外交交渉を行なうが、シナ側は事実無根だとしらばっくれる。

 このように危機が高まっているなか、9月18日夜、柳条湖事件が発生し、満洲事変が勃発するのである。
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