社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
「野鴨の哲学」とはどういうものか?
2011年にWeb上にアップされた「IBM創立100周年記念サイト」には、「Wild Ducks(野鴨たち)」という映像が紹介されています。「野鴨の精神」はIBMの底流に流れるものであり、1959年当時IBM会長だったトーマス・ワトソンJr.は、「ビジネスには野鴨が必要なのです。そしてIBMでは、その野鴨を飼いならそうとは決してしません」と言ったというのです。1960年代から1980年代にかけてコンピュータの世界に君臨したトップ企業を支えた「野鴨の精神」とは、どういうものなのでしょうか。
湖には毎年、野鴨が飛来します。1万キロを超える旅をねぎらうため、近くに住む古老が餌をたっぷり用意して待つようになりました。もちろん渡り鳥である鴨は、容易には餌付けされません。しかし、毎年繰り返される饗応に、やがて野鴨たちは「何も苦労して次の湖へ飛び立つ必要はない」と思ったのでしょうか。とうとうそこに住み着いてしまいました。
そのうちに、老人が亡くなる日がやってくると、餌をもらえなくなった鴨たちは、自力で餌を探し、次の湖へ旅する必要にかられました。ところが、あてがいぶちのご馳走に慣れ、野生をなくしてしまった鴨たちは、まるでアヒルのように肥え、羽ばたいても飛べなくなっていました。
そこへ近くの山から雪を溶かした激流がなだれ込んできました。ほかの鳥たちは丘のほうへ素早く移動しましたが、かつてたくましい野生を誇った鴨たちは、なすすべもなく激流に飲み込まれていった、というお話です。
なぜ、「野鴨の話」が実存哲学とつながるのでしょうか。それは彼の死後、ドイツの哲学者ハイデッガーが、この話を「被投的投企の哲学」と呼んだからです。
人間は誰しも生まれる場所も時間も選べない。ハイデッガーの言う「投げ込まれた(被投)」状態ですが、その限られた状態の中で、これからどういう在り方をすべきかは、自分の責任で瞬間ごとに決めていけます(被投的投企)。哲学用語にすると難しくなりますが、「野鴨」に託されているのは、そのことだというのです。
それに比べると、冒頭のIBM会長の解釈である「飼い慣らされてはいけない。飼い慣らしてはいけない」は、いかにも明快に聞こえます。実は「投企」は英語ではプロジェクト(project)ですから、まだ誰も行ったことのないビジネス上の冒険を進めていくことは、「被投的投企」の連続状態とも呼べるわけです。
その内容は過激で、「この生は一回きりのものだから、ただ漠然と時を過ごすことは罪悪である。月曜から土曜までなんとなく安穏に生きた市民たちが、日曜の教会で賛美歌を歌えば許されるという考えも、それを勧める牧師の説教もちゃんちゃらおかしい」と言うのですから、嫌われても仕方ないでしょう。
42歳の秋に、キェルケゴールはコペンハーゲンの路上で卒倒し、雪かきが必要なほど大雪が降る日まで誰にも助け出してもらえず、そのままなくなりました。攻撃を受ければ受けるほど、「私は紛れもなく生きている」と感じた「野鴨の哲学」は、現代の日本にこそ必要である、と日本BE研究所所長の行徳哲男氏は語っています。
渡りをやめた野鴨の話
デンマークの首都コペンハーゲンは、シェラン島(ジーランド)という島の東部にあります。島の北部には、「ハムレット」の舞台となったクロンボー城、歴代デンマーク王の居城フレデリクスボー城があり、大きな森と有数の湖沼地帯を抱えることでも有名です。湖には毎年、野鴨が飛来します。1万キロを超える旅をねぎらうため、近くに住む古老が餌をたっぷり用意して待つようになりました。もちろん渡り鳥である鴨は、容易には餌付けされません。しかし、毎年繰り返される饗応に、やがて野鴨たちは「何も苦労して次の湖へ飛び立つ必要はない」と思ったのでしょうか。とうとうそこに住み着いてしまいました。
そのうちに、老人が亡くなる日がやってくると、餌をもらえなくなった鴨たちは、自力で餌を探し、次の湖へ旅する必要にかられました。ところが、あてがいぶちのご馳走に慣れ、野生をなくしてしまった鴨たちは、まるでアヒルのように肥え、羽ばたいても飛べなくなっていました。
そこへ近くの山から雪を溶かした激流がなだれ込んできました。ほかの鳥たちは丘のほうへ素早く移動しましたが、かつてたくましい野生を誇った鴨たちは、なすすべもなく激流に飲み込まれていった、というお話です。
「野鴨の話」と実存哲学
この話は、コペンハーゲン生まれの哲学者、セーレン・キェルケゴール(1813-1855)が残したものです。7人兄弟の末子として、家政婦から後妻になった母と、裕福な商人の父の間で育った彼は、若い頃から憂鬱な傾向がある一方、物事を深く見据え、容易には承知しない実存哲学者の先駆けとして、『死に至る病』などの著書を残しました。なぜ、「野鴨の話」が実存哲学とつながるのでしょうか。それは彼の死後、ドイツの哲学者ハイデッガーが、この話を「被投的投企の哲学」と呼んだからです。
人間は誰しも生まれる場所も時間も選べない。ハイデッガーの言う「投げ込まれた(被投)」状態ですが、その限られた状態の中で、これからどういう在り方をすべきかは、自分の責任で瞬間ごとに決めていけます(被投的投企)。哲学用語にすると難しくなりますが、「野鴨」に託されているのは、そのことだというのです。
それに比べると、冒頭のIBM会長の解釈である「飼い慣らされてはいけない。飼い慣らしてはいけない」は、いかにも明快に聞こえます。実は「投企」は英語ではプロジェクト(project)ですから、まだ誰も行ったことのないビジネス上の冒険を進めていくことは、「被投的投企」の連続状態とも呼べるわけです。
現代日本に「野鴨の哲学」を
いずれにせよキェルケゴール自身は、「飼い慣らされない」ことを他者、主に当時の教会の在り方への懐疑と批判としてぶつけたため、同時代人からたいそう嫌われたと言います。その内容は過激で、「この生は一回きりのものだから、ただ漠然と時を過ごすことは罪悪である。月曜から土曜までなんとなく安穏に生きた市民たちが、日曜の教会で賛美歌を歌えば許されるという考えも、それを勧める牧師の説教もちゃんちゃらおかしい」と言うのですから、嫌われても仕方ないでしょう。
42歳の秋に、キェルケゴールはコペンハーゲンの路上で卒倒し、雪かきが必要なほど大雪が降る日まで誰にも助け出してもらえず、そのままなくなりました。攻撃を受ければ受けるほど、「私は紛れもなく生きている」と感じた「野鴨の哲学」は、現代の日本にこそ必要である、と日本BE研究所所長の行徳哲男氏は語っています。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
雑学から一段上の「大人の教養」はいかがですか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,600本以上。
『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
深刻化する中国の人権問題…中国共産党の思惑と人権の本質
中国共産党と人権問題(1)中国共産党の思惑と歴史的背景
チベット、内モンゴル、新疆ウイグルなど、少数民族に対する深刻な人権侵害をめぐって欧米諸国から強い批判を浴びている中国。しかし、こうした人権問題は今に始まったことではない。中華人民共和国建国の経緯と中国共産党の思...
収録日:2021/10/15
追加日:2021/12/24
コスパが鍵!? 顧客満足につながる品質マネジメントとは
プロジェクトマネジメントの基本(2)プロジェクトの複雑性とマネジメント
「プロジェクトはとても複雑だ」「不確実である」といわれるが、それはなぜか。イノベーションとエンジニアリング、モジュールとインテグラル、オープンとクローズドという対立項をかけ合わせてプロジェクトが成立するからだ。...
収録日:2025/09/10
追加日:2025/12/04
葛飾北斎と応為…画狂の親娘はいかに傑作へと進化したか
葛飾北斎と応為~その生涯と作品(1)北斎の画狂人生と名作への進化
浮世絵を中心に日本画においてさまざまな絵画表現の礎を築いた葛飾北斎。『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」が特に有名だが、それを描いた70代に至るまでの変遷が実に興味深い。北斎とその娘・応為の作品そして彼らの生涯を深...
収録日:2025/10/29
追加日:2025/12/05
なぜ空海が現代社会に重要か――新しい社会の創造のために
エネルギーと医学から考える空海が拓く未来(1)サイバー・フィジカル融合と心身一如
現代社会にとって空海の思想がいかに重要か。AIが仕事の仕組みを変え、超高齢社会が医療の仕組みを変え、高度化する情報・通信ネットワークが生活の仕組みを変えたが、それらによって急激な変化を遂げた現代社会に将来不安が増...
収録日:2025/03/03
追加日:2025/11/12
なぜ「何回説明しても伝わらない」のか?鍵は認知の仕組み
何回説明しても伝わらない問題と認知科学(1)「スキーマ」問題と認知の仕組み
なぜ「何回説明しても伝わらない」という現象は起こるのか。対人コミュニケーションにおいて誰もが経験する理解や認識の行き違いだが、私たちは同じ言語を使っているのになぜすれ違うのか。この謎について、ベストセラー『「何...
収録日:2025/05/12
追加日:2025/11/02


