社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
高田馬場に神楽坂…知られざる東京の外国人街
近年、日本では在留外国人の数は増加しており、1996年には134万人だった在留外国人も2016年末には238万人あまりに倍増していることが法務省の調べで分かっています。さらにその中でも、永住資格を取得している外国人は1996年には7万人あまりでしたが、2016年には72万人と10倍にも増えているのです。
外国人が多く住む街といえば、新大久保に広がるコリアンタウンのイメージが強いですが、都内には他にも外国人街が形成されている場所があります。今回は都内にある外国人街について紹介しましょう。
ミャンマー人が増えたきっかけは、1988年にミャンマーで起こった民主化のデモ運動。民主化活動に参加したのちに弾圧を逃れるため来日した人も多く、それから20年以上も日本で生活している人も少なくありません。こうした第一世代の他に、第二世代として最近では民主化の進んだ本国から留学生として来日する若者も増えているといいます。
彼らが高田馬場に集まる理由は都心への交通アクセスが良いこと、家賃が比較的安いことに加え、ミャンマー人の日本生活を支えるNPO法人、日本ミャンマー・カルチャーセンター(JMCC)が高田馬場にあることも、リトルヤンゴンを形成する理由のひとつとなっています。
これは政府の公認機関であるフランス語学校、アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)が1952年に神楽坂に開校され、かつては在日フランス人学校のリセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京があった(現在は北区滝野川へ移転)ことなど、フランス人家庭が生活しやすい条件がそろっていた点が理由といえます。
その結果、神楽坂にはフランス人のギャルソンがいるレストランやフランス書籍専門店が多く建ち並び、フランス人も楽しめるパリさながらの顔を持つ街として進化したのです。
インド人の来日が増えたのは、2000年問題が取りざたされた1999年のこと。インドのIT技術を頼って日本企業が多くの技術者を招き、彼らは西葛西に住むようになったのです。そして日本での生活が安定するようになると、彼らは家族を呼び寄せて日本で暮らすようになり、リトルインディアが形成されていきました。
外国人が多く住む街といえば、新大久保に広がるコリアンタウンのイメージが強いですが、都内には他にも外国人街が形成されている場所があります。今回は都内にある外国人街について紹介しましょう。
リトルヤンゴンのような高田馬場
若者が多く集う高田馬場は、ミャンマー最大の都市の名前をもじったリトルヤンゴンと呼ばれるほど、ミャンマー人の多い街でもあります。在住者数は高田馬場付近だけで500人にものぼり、ミャンマー料理店や関連する店など、ミャンマー人の経営する店舗は約20店舗が集まっているといいます。ミャンマー人が増えたきっかけは、1988年にミャンマーで起こった民主化のデモ運動。民主化活動に参加したのちに弾圧を逃れるため来日した人も多く、それから20年以上も日本で生活している人も少なくありません。こうした第一世代の他に、第二世代として最近では民主化の進んだ本国から留学生として来日する若者も増えているといいます。
彼らが高田馬場に集まる理由は都心への交通アクセスが良いこと、家賃が比較的安いことに加え、ミャンマー人の日本生活を支えるNPO法人、日本ミャンマー・カルチャーセンター(JMCC)が高田馬場にあることも、リトルヤンゴンを形成する理由のひとつとなっています。
パリのような一面もある?神楽坂
石畳のある情緒溢れる景色が大人の街をイメージさせる神楽坂ですが、実はフランス人が多く暮らし、フランス料理の店が多く建ち並ぶフレンチタウンでもあるのです。日本に住むフランス人の4分の1が神楽坂のある新宿区に住んでいるといいます。これは政府の公認機関であるフランス語学校、アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)が1952年に神楽坂に開校され、かつては在日フランス人学校のリセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京があった(現在は北区滝野川へ移転)ことなど、フランス人家庭が生活しやすい条件がそろっていた点が理由といえます。
その結果、神楽坂にはフランス人のギャルソンがいるレストランやフランス書籍専門店が多く建ち並び、フランス人も楽しめるパリさながらの顔を持つ街として進化したのです。
東京で最もインド人が集まる西葛西
都心からのアクセスも良く、手頃な家賃から人気も高い西葛西。ここはインド人向けの学校も整備され、インド料理店やインド食材店が多く並び、リトルインディアとも呼ばれています。毎年ディワリフェスタと呼ばれるインドフェスタも行われており、地域に根ざしている様子がうかがえます。インド人の来日が増えたのは、2000年問題が取りざたされた1999年のこと。インドのIT技術を頼って日本企業が多くの技術者を招き、彼らは西葛西に住むようになったのです。そして日本での生活が安定するようになると、彼らは家族を呼び寄せて日本で暮らすようになり、リトルインディアが形成されていきました。
都内で異文化交流も
このように都内にもさまざまな国を感じられる街が点在しています。今後、在留者の数はますます増加していくことが考えられますが、こうした街へ行くことで異文化を知ることもできるのではないでしょうか。また、西葛西のディワリフェスタのように、異文化に触れられるイベントが開催されることもあります。都内でできる異文化交流を楽しんでみてはいかがでしょうか。
<参考サイト>
・毎日新聞:最多238万人…永住者、20年で10倍
https://mainichi.jp/articles/20170318/k00/00m/040/047000c
・毎日新聞:最多238万人…永住者、20年で10倍
https://mainichi.jp/articles/20170318/k00/00m/040/047000c
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
“社会人学習”できていますか? 『テンミニッツTV』 なら手軽に始められます。
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,500本以上。
『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
ヒトは共同保育の動物――生物学からみた子育ての基礎知識
ヒトは共同保育~生物学から考える子育て(1)動物の配偶と子育てシステム
「ヒトは共同保育の動物だ」――核家族化が進み、子育ては両親あるいは母親が行うものだという認識が広がった現代社会で長谷川氏が提言するのは、ヒトという動物本来の子育て方法である「共同保育」について生物学的見地から見直...
収録日:2025/03/17
追加日:2025/08/31
日本の弾道ミサイル開発禁止!?米ソとは異なる宇宙開拓の道
未来を知るための宇宙開発の歴史(7)米ソとは異なる日本の宇宙開発
日本は第二次大戦後に軍事飛行等の技術開発が止められていたため、宇宙開発において米ソとは全く違う道を歩むことになる。日本の宇宙開発はどのように技術を培い、発展していったのか。その独自の宇宙開拓の過程を解説する。(...
収録日:2024/11/14
追加日:2025/09/02
天平期の天然痘で国民の3割が死亡?…大仏と崩れる律令制
「集権と分権」から考える日本の核心(3)中央集権と六国史の時代の終焉
現代流にいうと地政学的な危機感が日本を中央集権国家にしたわけだが、疫学的な危機によって、それは早い終焉を迎えた。一説によると、天平期の天然痘大流行で3割もの人口が減少したことも影響している。防人も班田収授も成り行...
収録日:2025/06/14
追加日:2025/09/01
世界は数学と音楽でできている…歴史が物語る密接な関係
数学と音楽の不思議な関係(1)だれもがみんな数学者で音楽家
数学も音楽も生きていることそのもの。そこに正解はなく、だれもがみんな数学者で音楽家である。これが中島さち子氏の持論だが、この考え方には古代ギリシア以来、西洋で発達したリベラルアーツが投影されている。この信念に基...
収録日:2025/04/16
追加日:2025/08/28
自由な多民族をモンゴルに統一したチンギス・ハーンの魅力
モンゴル帝国の世界史(2)チンギス・ハーンのカリスマ性
なぜモンゴルがあれほど大きな帝国を築くことができたのか。小さな部族出身のチンギス・ハーンは遊牧民の部族長たちに推されて、1206年にモンゴル帝国を建国する。その理由としていえるのは、チンギス・ハーンの圧倒的なカリス...
収録日:2022/10/05
追加日:2023/01/07