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なぜ渋谷は若者の街になったのか?
「若者の街」の代名詞として時代のトレンドを生み出し続けた渋谷。現在も多くの人が行き交っていますが、渋谷がそのようなにぎわいを見せ始めたのは、つい半世紀前のことに過ぎません。
渋谷はどのように発展し、若者の街となったのでしょうか。知られざる渋谷の発展の歴史を紐解きます。
時代が進むにつれて村落が形成され「武蔵国」となり、江戸時代に幕府の直轄領となると、都市の郊外となる渋谷には武家屋敷が立ち並ぶようになりました。
それまで「武蔵県」の一部だった渋谷町が「東京市渋谷区」となったのは昭和7年(1932年)10月1日。徐々に街として整備されつつありましたが、第2次世界大戦によって灰燼に帰してしまいました。
戦争が終結すると、戦後復興の一環として渋谷を再興させる計画が持ち上がります。これを機に、渋谷は駅から道玄坂を中心に商業地として発展することになりました。昭和30年(1955年)からはオフィスビルの建設ラッシュも始まり、渋谷は東京の副都心としての機能も持つようになります。
そして昭和39年(1964年)の東京オリンピックがきっかけとなり、渋谷では道路網の整備・拡張が行われ、街並みが一気に変貌。現在の渋谷区の街のベースとなりました。
その数年の間には、「文化屋雑貨店」、「ロフト(シブヤ西武ロフト館)」、そして西武のライバルである東急電鉄の「東急ハンズ」といった、若者の好奇心を刺激するオシャレ雑貨を取り扱う商店が続々開業。昭和54年(1979年)には渋谷の象徴ともいえるファッションビル「SHIBUYA109」がオープンし、若者は最新のエンタメ、音楽、ファッションの流行を追うべく渋谷を訪れるようになっていきます。
90年代になると「ギャル・ギャル男」「渋谷系」「アムラー」といった独特の若者文化が生まれ、渋谷はその聖地としてテレビやギャル向け雑誌などメディアを通して盛んに取り上げられるようになりました。
こうして渋谷はポップカルチャーを集積した“若者の街”としての体を成していったのです。
「渋谷ヒカリエ」をはじめ、駅周辺にはGoogleの新オフィスが入る「渋谷ストリーム」、「渋谷スクランブルスクエア」といったオフィスと商業施設を複合した大型ビルが続々竣工。大手企業やITベンチャー企業が多数入居する見込みとなっています。
オンラインショップの台頭で店舗での消費が落ち込み、かつ少子化の影響による若者の減少が目に見えている中、より経済力のある大人をターゲットに据えるのは自然な流れといえるでしょう。
とはいえ、そのような中でも公園、商業施設、ホテルが一体となった宮下公園の再開発地「ミヤシタパーク」が開業するなど、日本のポップカルチャーを支えてきた渋谷らしいトレンドスポットも生まれています。
最新トレンドの発信地としての確固たるイメージと、日本有数のビジネス街としての顔を合わせ持つことになった渋谷の進化に、今後も目が離せません。
渋谷はどのように発展し、若者の街となったのでしょうか。知られざる渋谷の発展の歴史を紐解きます。
荒涼とした大地から江戸の郊外地へ
古代から平安時代にかけての渋谷に関する資料は乏しく、渋谷が含まれる武蔵野は荒れ果てた大地が広がるばかりだったとされます。武蔵野が歴史の表舞台に立つのは、武士が活躍し始める平安時代末期~鎌倉時代から。鎌倉に通じる道がつながっていたため、鎌倉にはせ参じる武士たちがこの地域に住んでいたのです。時代が進むにつれて村落が形成され「武蔵国」となり、江戸時代に幕府の直轄領となると、都市の郊外となる渋谷には武家屋敷が立ち並ぶようになりました。
戦後の復興・東京オリンピックを機に街が形作られる
明治に入り、日本全国が行政区画について編成・法改正がたびたび行われる中、渋谷も周辺の村々を吸収・合併をくり返しながら町制が整えられました。明治18年には、赤羽~品川間の駅のひとつとして渋谷駅が開設されます。しかし渋谷駅周辺は、宿場町として発展した新宿駅・板橋駅と比べると建物らしい建物もない、閑散とした場所でした。それまで「武蔵県」の一部だった渋谷町が「東京市渋谷区」となったのは昭和7年(1932年)10月1日。徐々に街として整備されつつありましたが、第2次世界大戦によって灰燼に帰してしまいました。
戦争が終結すると、戦後復興の一環として渋谷を再興させる計画が持ち上がります。これを機に、渋谷は駅から道玄坂を中心に商業地として発展することになりました。昭和30年(1955年)からはオフィスビルの建設ラッシュも始まり、渋谷は東京の副都心としての機能も持つようになります。
そして昭和39年(1964年)の東京オリンピックがきっかけとなり、渋谷では道路網の整備・拡張が行われ、街並みが一気に変貌。現在の渋谷区の街のベースとなりました。
西武・東急の事業開拓が若者文化を醸成
渋谷が若者の街として脚光を浴びるようになったきっかけが、昭和48年(1973)に開業した西武電鉄の商業施設「PARCO(パルコ)」です。続いて西武はパルコのパート2、パート3、パルコ劇場、ライブハウスのクラブクアトロといったエンターテイメント施設をオープンし、渋谷の街をショッピングに限らない、文化発信の場として若者を呼びこもうとしたのです。その数年の間には、「文化屋雑貨店」、「ロフト(シブヤ西武ロフト館)」、そして西武のライバルである東急電鉄の「東急ハンズ」といった、若者の好奇心を刺激するオシャレ雑貨を取り扱う商店が続々開業。昭和54年(1979年)には渋谷の象徴ともいえるファッションビル「SHIBUYA109」がオープンし、若者は最新のエンタメ、音楽、ファッションの流行を追うべく渋谷を訪れるようになっていきます。
90年代になると「ギャル・ギャル男」「渋谷系」「アムラー」といった独特の若者文化が生まれ、渋谷はその聖地としてテレビやギャル向け雑誌などメディアを通して盛んに取り上げられるようになりました。
こうして渋谷はポップカルチャーを集積した“若者の街”としての体を成していったのです。
若者の減少を受け「脱・若者の街」を目指す渋谷
若者の街として発展を遂げてきた渋谷ですが、昨今は近年の大規模開発に伴い「大人向けの街」として生まれ変わりつつあります。「渋谷ヒカリエ」をはじめ、駅周辺にはGoogleの新オフィスが入る「渋谷ストリーム」、「渋谷スクランブルスクエア」といったオフィスと商業施設を複合した大型ビルが続々竣工。大手企業やITベンチャー企業が多数入居する見込みとなっています。
オンラインショップの台頭で店舗での消費が落ち込み、かつ少子化の影響による若者の減少が目に見えている中、より経済力のある大人をターゲットに据えるのは自然な流れといえるでしょう。
とはいえ、そのような中でも公園、商業施設、ホテルが一体となった宮下公園の再開発地「ミヤシタパーク」が開業するなど、日本のポップカルチャーを支えてきた渋谷らしいトレンドスポットも生まれています。
最新トレンドの発信地としての確固たるイメージと、日本有数のビジネス街としての顔を合わせ持つことになった渋谷の進化に、今後も目が離せません。
<参考サイト>
渋谷区の歴史│渋谷区HP
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kusei/ku/history.html
“若者の街・渋谷”の終焉…渋谷、巨大なオフィス街化の裏に東急の緻密な戦略│Business Journal
https://biz-journal.jp/2019/05/post_27885.html
渋谷駅周辺開発プロジェクト│渋谷再開発情報サイト 東急
https://www.tokyu.co.jp/shibuya-redevelopment/index.html
渋谷区の歴史│渋谷区HP
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kusei/ku/history.html
“若者の街・渋谷”の終焉…渋谷、巨大なオフィス街化の裏に東急の緻密な戦略│Business Journal
https://biz-journal.jp/2019/05/post_27885.html
渋谷駅周辺開発プロジェクト│渋谷再開発情報サイト 東急
https://www.tokyu.co.jp/shibuya-redevelopment/index.html
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