社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2021.12.03

『医療崩壊 真犯人は誰だ』、その大いなる謎に迫る

 日本は世界一の病床を保有する「病床大国」です。にもかかわらず、2021年、新型コロナウイルス感染拡大を受けて確保されたコロナ病床はなんと全病床のわずか4パーセント。結果、医療崩壊の危機に陥りました。

 なぜそうなってしまったのでしょうか。その謎を読み解くための一冊として、『医療崩壊 真犯人は誰だ』 (鈴木亘著、講談社現代新書)に注目したいと思います。本書はミステリー小説のように、いくつか要因を事件の「容疑者」に見立て、エビデンスを提示しながら、危機をもたらした真犯人をあぶり出していきます。真犯人は何だったのか。このあと、本書で取り上げられている容疑者たちを紹介していきます。

 著者の鈴木亘氏は学習院大学経済学部経済学科教授で、医療経済学、社会保障論、福祉経済学の専門家です。政府の行政改革推進会議委員を務めているほか、これまでも国家戦略特区ワーキンググループ委員、規制改革会議専門委員などを務めています。著書に『財政危機と社会保障』『社会保障亡国論』(ともに講談社現代新書)、共著に日経経済図書文化賞を受賞した『健康政策の経済分析:レセプトデータによる評価と提言』(東京大学出版会) などがあります。

容疑者1:少ないスタッフ

「なぜ、医療崩壊の危機に陥るのか?」

 病院関係者にこう質問にしてみると、「医療スタッフが足りないからだ」という答えがよくあがるそうです。つまり、最初の容疑者は「少ないスタッフ」という要因です。

 OECDのデータを見てみると、日本は、先進国の中でもとても医師数が少ないことがわかります。2018年時点で、人口千人あたりの医師数のOECD加盟国の平均が3.5人であるのに対して、日本はそれを下回る2.5人。しかも全国で約30万人いる医師のうち、3分の1にあたる約10万人が開業医です。鈴木氏は「開業医たちがコロナ入院患者に対する即戦力になるかと言えば、それは難しいと言わざるをえません」と述べています。それなら真犯人、つまり医療崩壊の危機をもたらした最大の要因は「少ないスタッフ」なのか。

 鈴木氏は、次のように述べています。日本全体の医療人材を効率的に活用する体制をつくれば、医療スタッフ不足は解決可能な問題であり、「少ないスタッフ」は主犯級の「真犯人」とは言えない、と。

容疑者2:多過ぎる民間病院

 次の容疑者は「多過ぎる民間病院」です。これはどういうことかというと、実は日本全体の病院の七割から八割を「民間病院」が占めており、民間病院に対しては公立・公的病院のように行政から指示・命令できないのだそうです。

 そのため、実態としてコロナ患者を受け入れていない民間病院が多く存在したことを鈴木氏は指摘しています。もちろん、民間病院が多いこと自体が問題なのではありません。非常時に公立・公的病院と同じように、民間病院に対しても迅速に指示・命令できる体制があればいいわけです。

 したがって、容疑者2も容疑者1と同様に「真犯人」とはいえないでしょう。

容疑者3:小規模の病院

 結論からいえば、「小規模の病院」を医療崩壊の危機をもたらした最大の要因と鈴木氏は見立てています。小規模の病院は、その規模の小ささのために、物理的にも採算的にもコロナの入院患者を受け入れることが非常に困難です。それにもかかわらず、日本の病院の実に約7割が200床未満の中小病院です。

 そのため、多くの病院でコロナ患者を受け入れることができず、医療逼迫が生じる原因となりました。なぜ日本ではこんなことになっているのかといえば、容疑者2の「多過ぎる民間病院」が大きく関係しています。つまり、日本は民間病院が多いために「小規模の病院」も多いということです。

「政府のガバナンス不足」による二次災害と事前の準備不足

 続けて、容疑者4に「フル稼働できない大病院」、容疑者5に「病院間の不連携・非協力体制」、容疑者6に「『地域医療構想』の呪縛」を挙げていますが、詳しい内容は本書を読んでいただくとして、ここでは「主犯級中の主犯」として名指ししている容疑者7の「政府のガバナンス不足」についてご紹介します。

 おそらく、これは多くの人が納得するところでしょう。医療スタッフ不足や病院の規模などもともとのリソースの問題はある意味、仕方ないとしても、「政府のガバナンス」についてはもうちょっとどうにかなったのではないか。鈴木氏は「政府のガバナンスの混乱が生み出した『二次災害』として、医療崩壊の危機が起きた」のではないかと厳しく批判しています。

 実は、政府には事前に「政府行動計画」というものがありました。それを十分に生かすことができれば、医療崩壊の危機に陥るような状況にはならなかったのではないかと鈴木氏は考えています。では、なぜ事前の計画を生かすことができなかったのか。答えは驚くほどシンプルです。計画はあっても、それを実行するための事前準備、訓練を怠ってきたからです。

 こうした備えに対する不足は、コロナ・パンデミックに限ったことではないでしょう。南海トラフ地震、首都直下地震などの大地震をはじめ、私たち日本人はいつ大規模災害が起こってもおかしくない状況の中で暮らしています。しかも、そのことを知っていながら、準備もシミュレーションもとうてい万全とはいえないのが実情です。

 そういう意味では、今回のコロナ・パンデミックは防災意識を高めるためのまたとない好機といえます。政府はもちろん、私たち一人一人も今こそ、さまざまな災害への備えに対して、積極的に取り組むべきではないでしょうか。本書はそのことを実感させてくれる貴重な一冊だといえるでしょう。

<参考文献>
『医療崩壊 真犯人は誰だ』 (鈴木亘著、講談社現代新書)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000359595

<参考サイト>
鈴木亘先生の公式ホームページ
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~20080041/
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
雑学から一段上の「大人の教養」はいかがですか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,600本以上。 『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

「宇宙の階層構造」誕生の謎に迫るのが宇宙物理学のテーマ

「宇宙の階層構造」誕生の謎に迫るのが宇宙物理学のテーマ

「宇宙の創生」の仕組みと宇宙物理学の歴史(1)宇宙の階層構造

宇宙とは何かを考えるうえで中国の古典である『荘子』・『淮南子(えなんじ)』に由来する「宇宙」という言葉が意味から考えてみたい。続いて、地球から始まり、太陽系、天の川銀河(銀河系)、局所銀河群、超銀河団、そして大...
収録日:2020/08/25
追加日:2020/12/13
岡朋治
慶應義塾大学理工学部物理学科教授
2

なぜ伝わらない?理解の壁の正体を今井むつみ先生に学ぶ

なぜ伝わらない?理解の壁の正体を今井むつみ先生に学ぶ

編集部ラジオ2025(27)なぜ何回説明しても伝わらない?

「何回説明しても伝わらない」「こちらの意図とまったく違うように理解されてしまった」……。そんなことは、日常茶飯事です。しかしだからといって、相手を責めるのは大間違いでは? いやむしろ、わが身を振り返って考えないと...
収録日:2025/10/17
追加日:2025/11/13
3

日本は素晴らしい歴史史料の宝庫…よい史料の見つけ方とは

日本は素晴らしい歴史史料の宝庫…よい史料の見つけ方とは

歴史の探り方、活かし方(1)歴史小説と史料探索の基本

「歴史を探索していく」とは、どういうことなのだろうか。また、「歴史を活かしていく」とはどういうことなのだろうか。歴史作家の中村彰彦氏に、歴史を探り、活かしていく方法論を、具体的に教えてもらう本講義。第一話は、歴...
収録日:2025/04/26
追加日:2025/11/14
4

デカルトが注目した心と体の条件づけのメカニズム

デカルトが注目した心と体の条件づけのメカニズム

デカルトの感情論に学ぶ(1)愛に現れる身体のメカニズム

初めて会った人なのになぜか好意を抱いてしまうことがある。だが、なぜそうした衝動が生じるのかは疑問である。デカルトが友人シャニュに宛てた「愛についての書簡」から話を起こし、愛をめぐる精神と身体の関係について論じる...
収録日:2018/09/27
追加日:2019/03/31
津崎良典
筑波大学人文社会系 教授
5

脳内の量子的効果――ペンローズ=ハメロフ仮説とは

脳内の量子的効果――ペンローズ=ハメロフ仮説とは

エネルギーと医学から考える空海が拓く未来(2)量子論と空海密教の本質

「ワット・ビット連携」の概念がある。これは神経と血管の関係にも似ており、両者が密接に関係するところから、それをもとに人間の本質について考察していくことになる。また、中村天風の思想から着想を得て、人間の心には霊性...
収録日:2025/03/03
追加日:2025/11/13