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DATE/ 2022.07.21

『脳と生きる』が伝える不合理な脳の正体とゆたかな未来

 脳は生存や繁殖を脅かすことを回避し、生き延びるために進化してきました。では進化した脳はどんな仕組みになっているのか。脳の特性を知ることで、私たちにどんな可能性を与えてくれるのか。そこで今回おススメしたい一冊は、『脳と生きる 不合理な〈私〉とゆたかな未来のための思考法』(藤井直敬著・太田良けいこ著、河出新書)です。

 本書は、VR(バーチャルリアリティー)技術を使ったサービスの開発を手がける株式会社「ハコスコ」のCEO藤井直敬氏とCOOの太田良けいこ氏が上梓しました。共著者の一人である藤井氏は医学博士・神経科学者でもあり、東北大学特任教授・デジタルハリウッド大学大学院教授・理化学研究所チームリーダーなどを務めて来ました。もう一人の著者である太田良氏は、PayPal・eBay・Tesla・Amazonなど、先端テクノロジー分野の日本事業立ち上げを担った経歴を持っています。

不合理な脳を擬人化した「ブレインくん」8つの特性

 藤井氏は、自分や他者の脳の特性を知ることは、望ましいゆたかな生き方を目指す上ですべての人に大事なことだとして、こういいます。

(1)脳はエネルギー効率が悪いゆえに省エネ志向でなまけものである
(2)脳の不合理な振る舞いは、脳の省エネ志向によるものが多い

 そのうえで、こう説きます。

(3)脳を別人格として切り離すことで、不合理な振る舞いも理解しやすくなる

 脳の特性を知れば、観察することが可能となるのです。ただし、認知や行動のバイアスがかかるため、自覚しづらいことも特徴です。

 そこで本書では、不合理な脳の特性による振る舞いを「ブレインくん」という別人格に見立てて切り離し、その不合理な特性をより具体的に展開していきます。

【「ブレインくん」の8つの特性】
(1)省エネ志向でつかれやすく、なまけもの
(2)脅威の児童判定によるビビり癖
(3)想定外の誤差に口やかましく反応
(4)融通の利かない白か黒かのゼロイチ思考
(5)他者には我慢してやり過ごす意気地なし
(6)興味のあるものしか見ない聞かない指向性
(7)変化を嫌う頑固もの
(8)逆算嫌いの狭い視野

 以上のように、擬人化かつ箇条書きにしてみると、いかに脳が不合理な働きを有しているかということがよりわかります。しかし、あくまでも「ブレインくん」は人格とは切り離した存在であり、制御可能です。つまり“御し方”をテクニックとしてもつことができれば、それはゆたかな生き方にダイレクトに反映されるという大いなる可能性を有しています。

 なお、本書は「ブレインくん」のイラスト化やマンガが効果的に用いられているため、ビジュアル的にもつかみやすくなっています。

脅威と報酬のコントロールとモチベーションの高め方

 ここで新たな疑問が出てきます。「ブレインくん」=不合理な脳の働きということはわかったとしても、では「ブレインくん」(=不合理な脳)にはどうやって働きかけ、どのように制御していけばよいのでしょうか。

 本書では、「ブレインくん」への働きかけとして、脅威と報酬のコントロール、そしてモチベーションを高めながら制御することをオススメしています。

 脅威と報酬にまつわる人の行動は、機能階層を持つ脳の特性によって実現しています。脅威と報酬のシステムには、(1)反射、(2)情動、(3)習慣、(4)理性――といった、最適化のための4つのモードがあります(なお、(1)から(4)にかけて認知コストが高くなります)。

 また、より現実に即して、【「SCARF(スカーフ)モデル」(脅威と報酬の要因)】を紹介しています。

【「SCARF(スカーフ)モデル」(脅威と報酬の要因)】
S:Status・地位(認められているか)
C:Certainty・確実性(未来の状態が確かであるか)
A:Autonomy・自律性(自分がコントロールできているか)
R:Relatedness・つながり(仲間とのつながりを感じられるか)
F:Fairness・公平性(公平公正に扱われているか)
※以上の4要因が脅かされると恐れや不安を感じ、回避や攻撃に向かいやすくなるとされる

 つまり、自分や他者の「ブレインくん」が何に対して脅威と報酬を感じるのかを把握することができれば、まずは脅威を取り除き、ついで報酬を提示することによって、制御がしやすくなるといえます。

 ただし、脅威への反応と比べて、報酬への反応は個人差が大きいことに特徴があります。そこで本書では、報酬への反応を外発的動機付けと内発的動機付けに大別し、動機付け=モチベーションのタイプ診断ができるようになっています。

 注意してほしいことは、モチベーションタイプ診断の特徴は一般的な性格診断と異なり、主観的または客観的な人物評価と乖離があるということです。このことから、モチベーションタイプは人格に依拠するものではなく、「ブレインくん」(=不合理な脳の働き)に紐づいているものだということが見えてきます。

 そのうえで、協働や共同のためにかかせない他者のモチベーションによりよく働きかけること、つまり他者の「ブレインくん」に対するモチベーションの高め方を探る方法について、型とTIPS(助言、ヒントなど)の具体例を展開しています。

 以上のように、本書のⅠ~Ⅳ章では脳内現実の世界を「ブレインくん」という別人格に見立て、客観的に理解できるような構造となっています。

虚実混交する現実をサバイブするための書

 本書のⅤ・Ⅵ章では、近年のテクノロジーの発展により議論できるようになってきた人工現実を含む環境と脳の関わりや相互の関係に焦点をあて、以下を挙げて現時点での私たちを取り巻く世界の見取り図を考察しています。

(1)現実は意識的・無意識的な脳内現実と、人工的・自然的環境現実の組み合わせで作られている
(2)それらの境界はとても曖昧で、主観的で、多様であり、ダイナミックに変化する
(3)脳と向き合い、現実を定義することで、ゆたかな世界が作れる

 人はすべて異なる脳を持ち、それゆえに主観も異なっています。つまり、誰もが異なる主観世界に住んでいるといえます。そのように考えると、そもそも現実とは、「すべての人に共通する現実が存在する」と考える自然科学とは、根本的に異なっていることが見えてきます。

 藤井氏は、「現実とは、連続した無意識と、それと連動する不連続な意識によって作り上げられている主観的な世界なのだと言い換えることができるのかもしれない」といいます。

 そして、藤井氏が理化学研究所でチームリーダーとして開発した「代替現実システム(Substitutional Reality System=SRシステム)」を使ったアート作品「Mirage」「The Mirror」「Neighbor」など具体例を挙げながら、視覚や聴覚といったある程度測定可能な感覚すら、実は感覚器の特徴に応じて生活環境に最適化しているだけであり、環境や身体が変われば認知の仕組みが変わることを提示していきます。

 しかしながら私たちは、本書を通して脳の不合理な特性を「ブレインくん」という別人格を通して、主観世界と外部環境を分離しつつ主観的な現実を客観視することによって、不合理な日常に合理性をもたらすことができることを知りました。

 藤井氏が「ブレインくんの存在を常に意識し、自分や他人の脳と向き合って生きてみようというのが本書の要諦である」と述べ、また太田良氏が「自分と他者との関係は、自分のブレインくんと他者のブレインくんの関係である」と説くように、脳にまつわる正しい知識や活用法をもって脳と生きることは、今後ますます虚実混交するであろう現実をサバイブしながら、望ましいゆたかな人生を自分で作り上げていくための、王道にして正道であるように感じます。

 本書を読んで、まずは自分の「ブレインくん」と客観的に向き合い、上手にガイドすることを学ぶこと。次に他者の「ブレインくん」を理解すること。そして現実を理解しつづけること。「それだけで世界はもっとゆたかで明るいものにもなるはずだ」と、藤井氏は提唱しています。

<参考文献>
『脳と生きる 不合理な〈私〉とゆたかな未来のための思考法』(藤井直敬著・太田良けいこ著、河出新書)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309631516/

<参考サイト>
ハコスコ 脳科学で現実をゆたかに:BRAIN REALITY
https://hacosco.com/

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