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DATE/ 2023.08.31

『関東大震災』――現代まで続く「100年の呪縛」とは

 1923年9月1日、今からちょうど100年前のこの日、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9の大地震が発生しました。この震災は南関東から東海地方までの広範囲に甚大な被害をもたらし、被災者は約200万人、死者は10万人以上と推定されています。さらに火災や津波による二次災害も多数発生し、震災後の混乱の中、朝鮮半島出身の人々が不当な暴行や虐殺の標的となるという悲劇も起こりました。

「関東大震災」と呼ばれるこの震災は、日本の歴史において単なる自然災害以上の深い意味を持っています。都市化や近代化に影響を与えただけでなく、人々の価値観や日本の文化、民族意識にも大きな変化を引き起こしました。また、民俗学や民藝運動の誕生、そして後の軍国主義や大衆ナショナリズムの台頭も、この震災と深く関わっています。

 今回紹介する書籍『関東大震災 その100年の呪縛』(畑中章宏著、幻冬舎新書)は、「災害民俗学」を掲げる民俗学者・畑中章宏氏による、関東大震災の独自の検証です。

 1962年大阪生まれの著者・畑中氏は、文筆家、民俗学者として、数々の著書を世に送り出してきました。主なものとして、『柳田国男と今和次郎』『日本残酷物語を読む』(平凡社新書)、『災害と妖怪』『天災と日本人』(亜紀書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『医療民俗学序説』(春秋社)、『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』(講談社現代新書)といった作品が挙げられます。民俗学の枠組みを基盤としつつ、民間信仰や災害伝承など、様々なテーマに独自の視点で切り込んでいるのです。

 畑中氏は本書で、この震災が明らかにした日本特有の問題が、当時の人々によって先送りにされ、その未解決の問題が今日まで日本を呪縛し続けていると主張しています。一体どういうことなのでしょうか。

本書の注目点と特徴

 本書は、一般的な災害記録や復興の歴史とは一線を画す、独自の視点から書かれています。その最大の特徴は、災害を単なる「自然現象」ではなく、「社会現象」として捉え直そうとする試みにあります。天変地異は突如として私たちの生活に襲いかかり、甚大な被害をもたらします。それ自体は人間には止めようもない自然の摂理ですが、天変地異に伴う「災害」に対しては、防災・減災の余地があります。

 また、災害がもたらす被害には、人的要因によるものが少なくありません。私たちは大自然の前では無力であるという日本の伝統的な自然観がある一方、災害に伴う事件や事故の人為的側面を覆い隠してしまうことがあります。その結果、「精神の復興」や「美談」が強調されるようになり、実際の問題点や責任の所在が不明瞭になってしまうのです。このようなパターンが、関東大震災後も同様に繰り返されてきたことを、本書は浮き彫りにしています。

 関東大震災に関しては、震災自体についての直接的な記述よりも、その後の「100年の呪縛」、つまり震災が及ぼした長期的な影響に焦点が当たっています。これが本書全体の半分以上の分量を占めています。関東大震災を単なる過去の出来事として捉えるのではなく、現在にまでつながる社会現象として考察している点が、本書のエッセンスといえるでしょう。以下では、その内容を具体的に見ていきます。

関東大震災という「大事件」(第1部)

 第1部では、関東大震災の状況を検証しながら、震災で顕在化した社会問題や「事件」の背景に焦点を当てて解説しています。震災は自然災害でありながら、同時に多くの社会的矛盾を露呈させた「大事件」でもありました。

 例えば、第2節「流言蜚語が招いた暴力」では、震災の直後に起こった社会的混乱の中で、特に朝鮮半島出身の人々を狙った暴力の事例が取り上げられています。東京を中心に「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が強盗をした」という流言が広がり、これを根拠に無実の朝鮮人たちが暴行の標的とされました。犠牲者は数百人から数千人とも言われていますが、正確な数は今もなお明らかにされていません。

 畑中氏は、そのような状況の中で朝鮮人を助けた内地人の「美談」がメディアで取り上げられたことに注目しています。このような報道によって、問題や矛盾が見過ごされ、一面的な正義感のみが強調されることになったのです。さらに、「官憲によって流言が広められた」「官憲が殺傷を許容した」といった誤情報をもとに、朝鮮人に対する自警団の迫害行為を正当化する声もあったといいます。流言が事実無根であったとわかった後でも、その出来事は単なる誤解や混乱として語られただけで、そこにある「事件性」は見過ごされてきました。

 これらの事例から、日常における社会的弱者が、災害時の非日常的状況でさらなる危機に晒される構造が浮かび上がります。震災は、当時の社会の偏見や差別が如実に現れる契機となったのです。

100年の呪縛(第2部)

 第2部は本書の中心とも言える部分で、さまざまな内容を扱っています。目次を見るだけでも、「帝都復興計画」「柳田国男による民俗学の創始」「昭和三陸地震津波」「昭和農業恐慌」「東京五輪」「大阪万博」「田中角栄の『日本列島改造論』」「阪神・淡路大震災」「東日本大震災」「二度目の東京五輪」といった出来事が並んでいます。

 ここでは、この中から「帝都復興計画」を取り上げて少し紹介しましょう。1923年9月の関東大震災から間もなく、1923年10月には「帝都復興計画」が策定されました。この計画の主導者として知られる後藤新平の構想や彼がどのようにこの計画を推進していったのか、さらには計画立案の背景となった当時の社会情勢が詳しく説明されています。

 壊滅的な打撃を受けた東京の未来について、後藤は「遷都すべからず」との立場を明確にしていました。しかし、その一方で地震に強い地域への首都移転を唱える「遷都論」も浮上しました。この遷都論は、陸軍の一部をはじめとするさまざまな場所で議論されていましたが、1923年9月12日に伊東巳代治が起草した「帝国復興に関する詔勅」によって東京からの遷都は正式に否定されることとなりました。

 畑中氏は、大規模な災害が発生する度に「遷都」や「分都」の議論が持ち上がることに触れつつ、これらの議論が短期的な流行として消えてしまう傾向にあることを指摘しています。さらに、震災が東京の「近代化」の障壁を一掃する好機であったとしても、実際に社会制度や政策、人々の意識の中には大きな変革が見られなかったと論じており、その結果として、東京中心主義や地方との格差問題は未解決のまま残されていると警鐘を鳴らしています。畑中氏がいう「呪縛」とは、100年前の震災で顕在化した問題が、反省も検証も不十分なままで今日まで「先送り」され続けていることを指すのです。

災害を「社会現象」として捉える(第3部)

 第3部は「災害」という事象をどのように捉えるべきかという視点からの分析が中心となっており、本書のまとめ的な部分になります。社会学者の清水幾太郎氏は、1755年のリスボン地震がヨーロッパ全土に大きな社会的・思想的変動をもたらしたことと対照的に、関東大震災はその後の日本社会にほとんど影響を与えなかったといいます。では、なぜ関東大震災は日本の社会や思想に大きな変革をもたらさなかったのでしょうか。

 畑中氏によれば、それは関東大震災が日本人の災害観や自然観を強化、固定化する一方で、これらの観点についての深い反省や検証が行われなかったためだということです。この原因の背後には、日本人が災害を単なる「自然現象」として捉える傾向があるということが指摘されています。

 しかし、災害は単なる「自然現象」ではありません。畑中氏は、災害を「社会現象」として理解することの重要性を繰り返し強調しています。それは、私たちが災害に対して、他人事として距離を置くのではなく、私たち自身の問題として捉えることの重要性を意味します。

 畑中氏が提起するのは、非当事者的な相対主義から脱却し、批判的な視点をもつことの重要性です。災害を社会全体の問題として受け止め、未来に向けて適切な対応や対策を考えるためには、私たち一人ひとりが災害に向き合うことが大切です。本書『関東大震災―その100年の呪縛』はそのための貴重な一冊なのです。

<参考文献>
『関東大震災―その100年の呪縛』(畑中章宏著、幻冬舎新書)
https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344987012/

<参考サイト>
畑中章宏氏のツイッター
https://twitter.com/akirevolution?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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