テンミニッツ・アカデミー|有識者による1話10分のオンライン講義
会員登録 テンミニッツ・アカデミーとは
社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2024.11.28

日本人の教養として今こそ学ぶべき『日本音楽の構造』とは

 みなさんは「日本音楽」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか。伝統的な雅楽や三味線の音色、あるいは現代のJ-POPやアニメソングを思い出す人もいるかもしれません。実は、日本音楽は西洋音楽と比較される中で、「ハーモニーがない」「分析に値しない」と言われてきた歴史があります。

 日本音楽には独自の魅力があります。そして、日本音楽を正しく理解するためには、西洋音楽の基準に頼るのではなく、日本音楽にふさわしい分析方法が必要なのです。

 今回ご紹介する『日本音楽の構造』(中村明一著、アルテスパブリッシング)は、そうした日本音楽の構造を科学的かつ多角的に解説したものです。物理学や音響学を通じた自然科学の視点だけでなく、文化人類学や社会学といった人文学のアプローチも駆使し、伝統音楽からJ-POPまで幅広く分析しています。本書を読むことで、日本音楽を新しい視点で捉え、その魅力を味わえるはずです。

尺八演奏家が示す日本音楽の全体像

 著者である中村明一氏は尺八演奏家であり、作曲家、著述家としても活躍しています。横山勝也氏をはじめとする多くの虚無僧尺八家に師事し、尺八の技術を磨きました。その後、アメリカのバークリー音楽大学、ニューイングランド音楽院大学院で学び、現在は世界40カ国、150都市で幅広く音楽活動を展開しています。

 CD作品には『虚無僧尺八の世界 江戸の尺八 琴古流 鶴の巣籠』(ビクター)など10枚以上があり、いずれも高い評価を受けています。著書には『密息で身体が変わる』(新潮社)、『倍音-音・ことば・身体の文化誌』(春秋社)、『あの人の声はなぜ伝わるのか』(幻冬舎エデュケーション)、「日本人の呼吸術」(BAB Japan)などがあります。また、東京学芸大、洗足学園音楽大学大学院、桐朋学園芸術短大、山梨学院大学、朝日カルチャーセンターで講師を務めるなど、教育活動にも尽力しています。

 本書は、「まったくと言ってよいほど知られてこなかった日本の音楽について知ってもらいたい」という中村氏の思いから執筆されました。「日本音楽が世界の中でどのような位置づけにあるのか、またどのような価値を持つのか」を探り、過去から現在に至る日本音楽を分析しています。第1章「日本音楽の構造」では、「倍音」と「密息」を中心に議論が展開されます。第2章「日本音楽各論」では具体的な和楽器や、神楽、田楽、雅楽など日本音楽の種目について分析されます。第3章「日本音楽の未来」では、理論的な分析を超えて、人文学的なアプローチから日本音楽の意義や可能性を考察しています。

日本音楽を構成する重要な要素「倍音」とは

 ここでは、日本音楽の構造を考える上でのキーワードとなる「倍音」について紹介しましょう。音楽における「倍音」とは、1つの音(基音)が鳴ったときに同時に生じる付随音のことを指します。この倍音には、基音の整数倍の周波数を持つ整数次倍音と、整数倍ではない周波数を持つ非整数次倍音があります。

 たとえば、弦楽器の弦を弾くと、弦全体が振動して出る基音だけでなく、弦の長さを1/2や1/3、1/4に分けた振動(整数次倍音)も発生します。一方で、和楽器や民族楽器などでは、不規則な振動によって非整数次倍音が生じることがあります。

 音の響きにもこれが影響します。基音に整数次倍音が加わると、音はつややかで輝きのある印象になります。一方で、非整数次倍音が加わると、風のような音や少し濁った音が生まれ、独特な深みのある印象になります。

 西洋クラシック音楽は、基音と低次の整数次倍音を中心に構成され、調和のとれた響きを特徴とします。一方、日本音楽は、非整数次倍音が多く活用するため、西洋音楽とは大きく異なる印象となります。琵琶楽、義太夫節、浪曲、虚無僧尺八、津軽三味線など、日本の伝統音楽を形作る上で非整数次倍音は重要な要素なのです。

 日本の歌手の中でも、たとえば、美空ひばり、石川さゆり、松任谷由実、椎名林檎などが、強い整数次倍音を持つ歌声で知られています。聞き取りやすく、輝きのある歌声が特徴です。一方、森進一や桑田佳祐のように非整数次倍音が強い歌声は、少しざらついた質感や優しい響きが特徴的です。話し声では、明石家さんまやビートたけしなどが非整数次倍音が多く含まれる代表的な例です。

 日本語や日本音楽では、感情を強調したり表現を豊かにしたりする際に非整数次倍音がよく使われるといいます。これは日本音楽が西洋音楽と大きく異なる点です。日本音楽は、五線譜では表現しきれない、整数次倍音と非整数次倍音が交じり合った音の総体を統括する音楽といえるのです。

日本の危機的な状況と日本音楽の未来

 中村氏は、現在の日本が直面している状況に強い危機感を抱いています。人口減少や地方の過疎化が進む中、地域コミュニティが急速に脆弱化しています。それに伴い、神楽や田楽、祭りなどの無形文化財を受け継ぐ人々が高齢化で減少し、これらの文化そのものが失われつつあります。また、和楽器の制作や販売も次々と廃業に追い込まれ、日本の伝統音楽を支える基盤が揺らいでいます。

 さらには、芸術全般に対する日本政府の助成が十分ではない現状も大きな課題となっています。中村氏は、日本の未来をより良くするためには、日本が誇る文化、いわゆるソフトパワーを活用することが重要だと指摘します。その中でも特に、文化の中心である日本音楽が鍵になるといいます。

「日本の音楽は、人類が生み出した全人類の宝物である」と語る中村氏。その特別な音楽に触れることで、日本の豊かな文化遺産を再認識するきっかけになるはずです。日本人の教養としてぜひ本書を耽読し、日本の音楽に思いを馳せてみてください。

<参考文献>
『日本音楽の構造』(中村明一著、アルテスパブリッシング)
https://artespublishing.com/shop/books/86559-290-0/

<参考サイト>
中村明一氏のオフィシャルウェブサイト
https://akikazu.jp/

中村明一氏の個人事務所「オフィス・サウンド・ポット Office sound pot」のX(旧Twitter)
https://x.com/office_soundpot

~最後までコラムを読んでくれた方へ~
より深い大人の教養が身に付く 『テンミニッツTV』 をオススメします。
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,500本以上。 『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

地球上の火山活動の8割を占める「中央海嶺」とは何か

地球上の火山活動の8割を占める「中央海嶺」とは何か

海底の仕組みと地球のメカニズム(1)海底の生まれるところ

海底はどうやってできるのか。なぜ火山ができるのか。プレートが動くのは地球だけなのか。またそれはどうしてか。ではプレートは海底の動きの全てを説明できるのか。地球史規模の海底の動きについて、海底調査の実態から最新の...
収録日:2020/10/22
追加日:2021/05/02
沖野郷子
東京大学大気海洋研究所教授 理学博士
2

米長邦雄のアンラーニング、弟子の弟子になってV字成長

米長邦雄のアンラーニング、弟子の弟子になってV字成長

経験学習を促すリーダーシップ(2)経験から学ぶ力

人が成長していくために重要な経験学習。その学習サイクルを適切に回していくためには、「経験から学ぶ力」が必要になる。ではそこにはどのような要素があるのか。ストレッチ、リフレクション、エンジョイメントという3要素と、...
収録日:2025/06/27
追加日:2025/09/17
松尾睦
青山学院大学 経営学部経営学科 教授
3

日本と各国の比較…税負担は低いが社会保障の負担は高い

日本と各国の比較…税負担は低いが社会保障の負担は高い

続・日本人の「所得の謎」徹底分析(1)各国の財政と国民負担

国民の税負担を増やすか、政府の財政支出を増やすか。前回の講義《日本人の「所得の謎」徹底分析》に続き、見解の分かれる日本の財政に関する議論を今一度整理し、見通しを与える当講義。まずは日本の財政と国民の負担の現在地...
収録日:2025/07/10
追加日:2025/09/17
養田功一郎
元三井住友DSアセットマネジメント執行役員 YODA LAB代表 金融・経済・歴史研究者
4

「国際月探査」とは?アルテミス合意と月探査の意味

「国際月探査」とは?アルテミス合意と月探査の意味

未来を知るための宇宙開発の歴史(9)宇宙開発を継続するための国際月探査

現在の宇宙開発は「国際月探査」を合言葉に掲げている。だが月は人類の移住先にも適さず、探査にさほどメリットがない。にもかかわらずなぜ「月探査」が目標として掲げられているのか。それは冷戦後、宇宙開発の目標を失った各...
収録日:2024/11/14
追加日:2025/09/16
川口淳一郎
宇宙工学者 工学博士
5

百年後の日本人のために、共に玉砕する仲間たちのために

百年後の日本人のために、共に玉砕する仲間たちのために

大統領に告ぐ…硫黄島からの手紙の真実(4)百年後の日本人のために

硫黄島の戦いでの奇跡的な物語を深く探究したノンフィクション『大統領に告ぐ』。著者の門田隆将氏は、「読者の皆さんには、その場に身を置いて読んでほしい」と語る。硫黄島の洞窟の中で、自分が死ぬ意味を考えていた日本人将...
収録日:2025/07/09
追加日:2025/08/15
門田隆将
作家 ジャーナリスト