●キャメロン首相が、2013年に国民投票を約束していた
次は欧州について見ていきましょう。まずブレグジット(BREXIT)です。新聞を読める人、ものを語れる人は、まさかイギリスがEUを離脱するなんてあり得ないと思っていました。ところが2016年6月23日、本当に起きてしまったのです。これは大変なことです。なぜデーヴィッド・キャメロン前首相は、国民投票という愚かなことを思いついたのでしょうか。
実はキャメロン首相は、2013年に国民投票を約束していたのです。当時、イギリスは不況でした。もともとイギリス人はEUが大嫌いです。お金ばかり取るし、規制がうるさくてかなわないと思っていました。そこでキャメロン前首相は、もし2015年の総選挙で保守党が勝てば、EU離脱の国民投票をすると発表したのです。
これは選挙民の注意をそらすためのキャメロン前首相の作戦でした。当時、保守党が分裂したのに加え、イギリス独立党(UKIP)という変な政党が現れて、彗星のように票を集めていたからです。保守党としては恐怖だったのです。こうしたことから国民の関心をそらすために、国民投票が提案されました。ずっと前にも、ハロルド・ウィルソン首相が同じ作戦を打って成功した事例があったからです。
●中年以上の地方に住む人びとが離脱に投じた
結果的に、2015年5月の選挙では保守党が大勝します。そのため公約を果たさなければならなくなりました。2017年に行われる予定を、16年に前倒しして国民投票を行ったわけです。そしてブレグジットというまさかの結果になりました。
当時、離脱派を仕切っていたのは、薄い金髪のロンドン市長のボリス・ジョンソン氏です。ジョンソン氏はキャメロンさんの盟友でした。ともにEU残留を支持するはずだったのですが、ジョンソン氏が裏切ります。あるいは、マイケル・ゴーヴ法務大臣は頭の切れる人ですが、彼も裏切りました。
彼らは、当時のイギリス独立党党首ナイジェル・ファラージュ氏とともに、赤いバスをたくさん走らせて、ブレグジットを宣伝したのです。彼らの主張はこうでした。イギリス人は毎週3.5億ポンドもブリュッセルにかすめ取られている。EUを離脱すれば、イギリスの医療は劇的に改善する、と。
知識のない国民はこれを聞いて同調し、ブレグジットに賛成したのです。投票結果を見ると、ロンドンの市民はステイ、高学歴者や若い人もステイでした。しかし、中年以上の人びと、地方に住む人びと、あるいは新聞を読まない人が離脱に投じたのです。ところがさらに驚くべきことに、離脱結果が出るやファラージュ党首が雲隠れしました。ジョンソン市長も自分に責任はないと言い逃れる始末です。
●我々は、グローバルブリテンだ
キャメロン首相の後任は、テリーザ・メイ首相です。メイ氏は目が大きくて、背も高く、美人です。よく花柄のハイヒールを履いているところが新聞の写真に出ていますが、おしゃれと言われています。花柄のハイヒールがおしゃれなのかは分からないですが。
もともと苦労して育った人で、エリートではありません。アルバイトをしながら区会議員をしていたという経歴の持ち主です。キャメロン政権で、彼女は内務大臣に任命されました。内務大臣は、昔の日本にも内務省がありましたが、それとほとんど近い形で、4大要職のうちの1つです。総理大臣、財務大臣、外務大臣、内務大臣と重要な役職です。それを6年も務めました。
しかし、彼女はイギリスでは「bloody difficult woman(ひどく難しい女)」という評判です。あるいは「ice Queen」とか「Cold Fish」とも言われています。冷たい魚ですから、誰も食べたくないということでしょう。
キャメロン氏の後任を決める保守党党首選挙の第2回投票では、メイ氏が199票、女性の対抗馬アンドレア・レッドサム氏は84票、さらにゴーブ氏が46票を獲得します。最下位のゴーブ氏が落選し、決選投票ということになるはずでしたが、レッドサム氏が自ら辞退しました。こうしてメイ氏が保守党党首になったのです。
つまりメイ氏はイギリス首相になるために正当な手続きを踏んでいないのです。キャメロン氏からメイ氏に代わるには、総選挙をするべきでした。しかし総選挙は行われていません。党首選も党員投票もしていないのです。それでも保守党党首になり、首相になってしまいました。
彼女は当初、優柔不断でした。党首選に出るのか出ないのか、はっきりさせなかったのです。だからある一部の評論家は、彼女はしたたかで、EU離脱の国民投票もうやむやにしてしまうのではないかと予測していました。確かに、彼女がそうできていたら大政治家だったでしょう。ところが2016年10月5日、彼女が初めて党首として演説する保守党の党大会で、彼女はとんでもないことを言ったのです。
まず、イギリスは独立国...