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危急存亡のときにこそ、情報活動は工作を伴う

インテリジェンス・ヒストリー入門(7)イギリスの情報工作

中西輝政
京都大学名誉教授
概要・テキスト
フランクリン・ルーズベルト大統領の3選がなければ、アメリカのヨーロッパの戦争への参加は不可能だっただろう。危急存亡のとき、イギリスはいかにしてアメリカの政治に介入する工作を行ったのか。歴史学者で京都大学名誉教授の中西輝政氏が、世界史の転換点となったイギリスの情報工作について解説する。(全11話中第7話)
時間:07:53
収録日:2017/11/14
追加日:2018/06/17
カテゴリー:
≪全文≫

●ウィルキーとBSCの関係は浅からぬものがあった


中西 BSC(ブリティッシュ・セキュリティー・コーディネーション)の工作の結果、驚いたことに、ウェンデル・ウィルキーという無名の人が共和党候補になるのです。ウィルキーはそれまでは民主党員でした。ところが1940年の党大会で、いきなり共和党の大統領候補になってしまうわけです。ここに至る過程で、イギリス情報部が絡んだ工作の結果、買収されたのだろうと言われています。

 もちろん工作の跡ははっきりとは残っていません。しかし、ウィルキーという大変良い人物がいると、ヘラルド・トリビューンの前身であるニューヨーク・トリビューン紙のような有名な新聞が、いきなりウィルキー礼賛の記事を毎日のように出すわけです。ウィルキーの支持率は見る間に伸びていきました。支持率といっても、誰かが操作している世論調査です。そうした工作も全てイギリス情報部が後ろでやったと言われています。最近では、アメリカの歴史家が客観的に調べた研究書まで出ていますので、大筋で間違いないと思います。

 そういう工作をした挙句、ウィルキーが共和党候補になりました。ところがウィルキーは、あるときには選挙演説中に、ヨーロッパの戦争に賛成して、人類の自由を救わなければならないと、突然口走ったのです。聞いていた人はびっくりしたでしょう。参戦を主張するフランクリン・ルーズベルトの対立候補だからこそ、共和党を選ぼうと思っていたのに、選べなくなってしまったのです。

 ルーズベルト政権が発足し、第二次世界大戦が2年目に突入した時、ウィルキーは大統領の補佐官のような地位に就きます。そして世界中を回って、ルーズベルト政権の外交の宣伝マンになってしまったのです。ウィルキーという人は、このように非常に奇妙な人物です。

 彼はもともと大のイギリスびいきでした。したがって、ハードエビデンスはまだ見つかってはいませんが、ウィルキーとBSCの関係は浅からぬものがあったのでしょう。このように、イギリスはあらゆる手段を使って、何とかぎりぎりルーズベルトの3選を可能にしました。これが1940年11月です。


●危急存亡のときにこそ、情報活動は工作を伴う


中西 そこからは一瀉千里(いっしゃせんり)です。1940年の秋には日独伊三国同盟が結ばれます。そうなれば日本は、本当に側杖です。アメリカはヨーロッパの戦争に参戦した...
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