●与党と役人の非公開の場で政策議論が行われてきた日本の政治
―― 昔は、梶山静六さんや二階俊博さんのようにそれなりに力のある人が国対委員長で、無理難題はいうけど、落としどころはきちんと見つけて落としてくれる人たちが務めていた。自民党でも部会や総務会があって、そうした感じの環境の方が、役人の労働時間としては、今みたいな形よりはるかに少なかったですよね。
曽根 今でも予算で残っていることはあるにはあります。有力議員と財務省がサシで会う。特に道路・建設に関わる分野で、一切メモを取らずに……という話はあるのですが、だけど、これまたすごく危ない話なのです。
昔の「税制調査会」に戻せ、という主張が良いのかどうか。つまり、村山達雄さんや山中貞則さんがいて、これも逸話ですが、村山さんは、人の名前をあまりよく覚えない。それでも良い質問すると覚える。「彼はなんていう名前だ」と聞くのです。そうやって頭角を現す良い人材を見つけてきたという議論も中にはあったんですね。
ただ、政府税調と自民税調の役割分担がありました。自民税調が実質的な決定の場なのですが、電話帳と呼ばれるものが有名になりました。英語ではテレフォンブックというのですね。「電話帳は日本にあるでしょうか」と予算編成関係の研究をしている外国人に尋ねられたのです。「あっ、そんなことまで知っているのか」と思いました。〇×△を1件ずつ付けていくのですね。自民税調が実質的に判断していたのです。
政府税調は税制改正の大枠を担当します。実権を党に持たせるかどうかという点に関しては、良い点も悪い点もあります。イギリスの予算編成では、日本の党や概算要求などの過程を全て飛ばして、まず財務省幹部だけ作ってしまうのです。
だから、日本の積み上げ型にはいい点もありますが、あまりにも利益集団の意向をくみ取り過ぎだ、という意見もあります。何ともいえないところですが、ただ税に詳しい人がいたことは確かでしょうね。
当時の大蔵省の役人の中でも、個別部分に関して「詳しいことはあの先生に聞かなければ」という話は、山中さんの頃はあったわけですね。今、族議員とはあまりいわないですよね。族には2種類の顔があって、1つは政策分野の専門家という顔ですね。もう1つはその業界の代弁者という顔です。両方を持っていたのです。
族議員というものがなぜなくなったのでしょうか。部会の役割がすごく変わってしまったのですね。確かに呼びつけることはありますが、自民党の政調部会が、かなりおざなりにスッと通ってしまう。ただ、役人はそこで説明しなくてはいけません。役人にとっては、これはかなり大きな仕事ですよね。そこをクリアできれば、政調会、総務会も通ると思っているわけです。
国会以上にエネルギーを使うわけですよ。そうすると、国会の役割って何なのか。日本で「国会活性化」といいますが、自民党の与党審査がある限り、国会なんて活性化することはないですよね。
●アメリカやヨーロッパと比較した際の日本の特殊性
―― 活性化する必要もないですよね。他のところで活性化されているから。
曽根 必要がないのです。与党にとっては、必要な情報は役人から部会などで直接、得ることができます。部会での話は、非公開なので非常に便利なのですね。
―― なるほど。うまくできた仕組みですね。
曽根 与党から見るととてもうまくできた仕組みです。しかし、一般国民から見れば非公開の情報でものが決まっている、ということになる。
だから、そこの部分をアメリカのサブコミュニティ(小委員会)のようにオープンな場で行えば良いのではないかという議論はあるのです。だけど、日本はそういう議論に政治家が乗ってくれません。
―― 日本の仕組みを、ヨーロッパ、アメリカ、イギリスの人に説明するのは難しいですよね。
曽根 はい。
―― 説明できないけど、族議員のそれなりのプロフェッショナリティによって回っていた時代があったわけですよね。
曽根 アメリカで一番学者の層が厚いのは、アメリカ議会研究です。ところが、アメリカの議会研究をした人たちがその手法をひっさげて、そのまま日本に当てはめようとする。議会に法案が提出された時点から研究を始めます。日本は議会に法案が提出されたときは、もう決まった話ですよ。
―― そうですよ。終わっていますもんね。
曽根 終わっていますよ。自民党の中を研究しなきゃダメでしょう。省庁間の合議(あいぎ)の部分とか、利益集団と省庁間調整を分析しなきゃダメでしょう。そちらが日本の法案や政策の中心部分ですよ。その部分を説明するのが非常に大変でしたよね。私は、そちらの立場だから、アメリカ帰りの連中を再教育するのは、ものすごく苦労しましたね。
―― それは分かりやすい話ですね。...