●古代の民主主義体制と現代の民主主義体制の差異
―― 今日お伺いしたいのは、民主主義と政治というテーマです。アテネの民主政を例に挙げると、実はペリクレスがいた50年間ぐらいだけがうまく機能していて、ペリクレスという天才がいなくなってしまうと、全くうまく機能しなくなってしまいます。プラトンにしてもアリストテレスにしてもそこを見ているから、必ずしも民主主義に対して高い評価を与えていないですよね。そのため、その後は貴族政になっていったりします。
今度はローマに目を向けると、最初に貴族政の元老院がある。さらに独裁官というリーダーは作るけれども二人同時に任命したり、任期が半年単位になっていたりと、暴走を止めようと工夫しています。でも結果として、領地を拡大していくとともにマネジメントできなくなって、共和制から帝政に変わっていくという流れも出てきました。
同じ民主主義政治体制といっても、例えばアメリカは、一番上に自分たちの安全保障として軍事を置いた民主主義政体です。また、イギリスやフランスでは、いまだに貴族政的な部分が多く残っているように思います。加えて、今、世界中で格差がこれだけ広がってくると、ポピュリストが台頭するようになってきます。
ではわれわれは、民主主義をどういうふうに考えていけばいいのか。どう捉えていけばいいのか。このような問いに関して、お考えをお聞かせ願えればと思います。
曽根 民主主義は今、非常に危機に瀕しています。民主主義を語っている、いわばわれわれは、民主主義を今まで語り継いできたんですね。それでも危機に瀕しているということは、今の世界を見ていると共通認識であると思います。
では、新しい民主主義が定義できているのか。まだだろう。ということで、ギリシャに戻る。アテネに戻る。では、アテネの民主主義とは何なのか。アテネでは「民会」といって、アテネの市民全員(女性や奴隷は含まれない)が集まっていました。これが民主主義だと思われている部分もあるんですが、そうではなくて、500人委員会という制度がありました。これは抽選で選びます。抽選の装置が残っていますが、抽選で選び、輪番で動かすという仕組みがあったのです。
最近、選挙ではなくて「抽選だ」と民主主義を語る人がいますが、それはこのアテネを念頭に置いた抽選ということでしょう。ただ、そこでとまっているのではなく、あの本(ダーヴィッド・ヴァン・レイブルック著/岡﨑晴輝ほか訳『選挙制を疑う』)をよく読むと、抽選で選ばれた市民が集まって討論をするというそこから、今までの代議的な民主主義、政治家の民主主義とは少し違うんではないか(ということが書かれています)。
これは可能性を議論しているだけで、われわれは世界中でずっとその実験をしているわけですね。しかし、まだ決定打(もっとも良い制度)というものは、生まれていません。
ただ、いくつか可能な例として、われわれが「Deliberative Democracy(熟議の民主主義)」という言い方をしているものがあります。その「deliberation(熟議)」ですが、本来、議会の必要性というものは、建国期のアメリカで議論が発展しました。なぜ間接的な民主主義を選択するのか。当時、地位も名誉も財産もある連中は、頭に血が上った大衆が議会を占領して、財産を奪ってしまうことへの恐怖感を持っていました。
だから、当時のマイノリティであったエリートたちが不利にならないように制度設計したのです。そこで、選ばれた少数の人たちの間では、討論を十分行うことができると考えられました。エリートは一般の大衆よりも知識を持っていて、合理的で長期的な議論が行われるはずだ、というマディソン的な民主主義の議論がありました。
●党派性の強さが熟議の可能性を潰している
曽根 ところが、今のアメリカを見ると、そんなものはどこにあるのか。それから、日本もイギリスもそうですが、議会では本来は選ばれた人たちが国民、市民に代わって、もっと質の高い議論をし、もっと質の高い決定ができるはずと思われているんだけれども、そこもそういう動きをしていないんじゃないのでは、と批判が出てきている。
―― 選良のはず、ですけどね。
曽根 それでは、われわれがやっている討論型世論調査のようなものの仕組みと、例えば、日本やイギリスの国会で行われている話と、その違いは何なのか。その1つは党派制が強いということです。党派制が強いというのは、どういうことなのか。本来は柔軟な対話、あるいはファクトや資料に基づいて議論を行うのが前提なのですが、そうではなくて、いきなり相手を否定するところから始める。
―― 党派制って、そういうことですよね。
曽根 ええ。モデルとしては、裁判に近いんですね。つまり、検事がいて弁護士がいる。本...