●演奏会の静寂マナーは、ベートーヴェンに責任がある?
―― 前回はモーツァルトまできたので、今回はベートーヴェンですね。モーツァルトが子供のときから音楽をやっていたので、ベートーヴェンのお父さんがそれに憧れたのか、ずいぶん厳しく音楽修行をさせたという話が有名ですね。
野本 そうですね。実は、ベートーヴェンは「モーツァルト2世」みたいな感じ、「新しいモーツァルト」としてデビューしたんです。それこそ子供のときですが、「モーツァルト並みの天才が現れたぞ」というので、最初の演奏会をやったりしています。完全に意識をしていたことは確かです。
ただし、どうもベートーヴェンはモーツァルトに直接会うことはできなかったようなんですね。というのは、モーツァルトは1791年に亡くなってしまいますね。1770年生まれのベートーヴェンは22歳になる1792年にようやくウィーンに行くのですが、モーツァルトはもう死んじゃっているんです。
―― ベートーヴェンは、日本ではクラシックというと、知らない人はまずいない存在です。まず出てくるのがベートーヴェンですが、だいたい皆さんが不思議に思うのは、「ベートーヴェンは何がすごいか」ということだと思うんですけど、先生はどのようにお考えですか。
野本 ベートーヴェンは音楽史上、最大の人と言っても過言ではない存在ですね。もちろん音楽もすばらしいんですけども、いろいろな点でベートーヴェンはすばらしく画期的だった人なんです。
身近なことで言うと、演奏会に行ったら、とにかくおしゃべりもしちゃいけなくて、曲が始まったら静かに固まって聴いてなくちゃいけませんね。
―― 咳をするのも我慢するぐらいですね。
野本 それをしたのはベートーヴェンに責任があると言ってもいいんです。まさに「演奏中は、みんな黙って俺の曲を聴け」みたいな感じにしてしまったのが、つまり「娯楽」じゃなくて「芸術」だというふうにしたのがベートーヴェンなんです。
●「注文通り」ではなく「つくりたいもの」をつくりこむ
―― なるほど。それはモーツァルトまでの音楽とはけっこう違いますね。
野本 そうなんです。モーツァルトまでは「職人さん」だったわけです。給料をもらって、言われたようにつくる。言われたようにつくらなかったら、もう一遍書き直しというふうになっていたわけですから。
―― 「雰囲気が違います」というようなことで。
野本 曲調もあるし、楽器の人数はここまでとか、何分以内の曲で作ってくれという制限もあったと言われています。それを無視して3時間の曲とかを作ってもダメで、突き返されてしまう。また、それこそ「お葬式の曲を作ってくれ」と言っているのにハッピーな感じの曲では、どんなにすばらしい曲であっても、「注文したのとは違う曲だ」と突き返される。
結局、頼んだ人が一番重要で、その人のためにつくるのが職人なんです。椅子を作るにしても、「高さは何センチ」という注文通りに作ってくれなかったら、当然作り直しになりますよね。料理でもそうです。「もうちょっと塩味を効かせて」とか「メンマは抜きにしてくれ」といった注文があるわけです。
ベートーヴェンはモーツァルトよりも14、5歳年下なんですけれども、そのたった十数年で、音楽に対する環境や考え方がガラリと変わってしまうんですね。モーツァルトまでは、音楽家は給料をもらえる職人さん。ベートーヴェンは、給料はもらいません。フリーの作曲家になります。どうしてか。自分がつくりたいものをつくるからです。「分かる奴が分かればいい。自分はこういうふうにつくりたい」。こうなると、あまり締め切りは関係ないんですね。職人さんは、いつまでにつくらなきゃいけないと言われる。
―― 行事がありますからね。
野本 そうなんですね。ところがベートーヴェンはいつまで経っても、「いや、ここはもうちょっと」「1音、ここを変えよう」とか、自分が気に入るまで、いつまでも、いじくり回す。自分の気に入るものを、自分がつくりたいからつくる。まさに自己表現で、それを「芸術家」というんです。つまり十数年の間に、職人から芸術家へと、劇的に変わっていく。その最初の人がベートーヴェンというわけなんです。
●歌から器楽へ、娯楽から作者の主張への大変革
―― ハイドンのときに、まさにベートーヴェンが直弟子だったというお話がありました。
野本 はい、そうですね。直弟子です。
―― そして、われわれも、ベートーヴェンというと交響曲というイメージが強いですね。
野本 そうですね。実は、ベートーヴェンはすべての音楽の中で、「交響曲」こそが最高の地位にある音楽だというふうに考えたんです。
―― それがベートーヴェンの主張なわけですね。「交響曲だ」と。
野本 そうなんです。その前のモーツァ...