●「何が幸福か」について、どのように分析すればいいのか
―― 経済学で考えた場合に難しいのは、例えば人間の幸福をテーマにした場合だと思います。どうしたら幸福になるかを考える際、経済の上ではいくつかのパラメータを想定します。例えば、GDPが上がると寿命が伸びるため、GDPは幸福の指標になるのではないか、といった想定です。しかし、そのベースになる部分で、まず「何が幸福か」ということについて、どのように分析できるのかという問題があります。
前回のお話でいえば、変わり得るものが関連します。例えば、ブームですが、タピオカやガンダムのプラモがブームであるといわれています。しかしこれらも、手に入るとすごく嬉しいのですが、ブームが収まると、今度はそれを得ても「まあまあ、美味しかったよね」「楽しかったよね」程度の効用になってしまうかもしれません。そうなると、タピオカを生産したらみんなが幸せになるというわけではありません。こうした移ろう部分と、本源的な人間の幸せの部分をどのように見極めることができるのでしょうか。
経済学の場合であれば、要素をかなり絞り、GDPが上がるか下がるかという点に決め打ちしてきた部分があると思います。今後は、こうした問題をどのように分析していけるのでしょうか。
柳川 何を目的にするか、あるいは何を価値判断にするかということが変わっていくときに、それをどう考えるかという問題は、今まで話してきたこととは少し違った要因を考慮する必要がありそうです。もちろん、人の感情がどのように変わってきているのか、人はどういうときに何を望むか、ということ自体を経験やデータに基づいて分析していくことはできると思います。しかし、そのことと、ある人はなぜその行動を取るのかということを調べることは、分析という点では同じでも、違う話だと思います。
それこそ、AIで何を分析するのかを考える必要があります。例えば囲碁であれば、「勝利する」という明確な目的があります。自動運転であれば、「ぶつからないようにする」、医療データであれば「病気の画像を見つける」というように、目的がある程度はっきりしています。だから、そうした目的に向かって、できるだけ精度を上げていくということになります。今、問題になっているのは本当に精度が上げられるかということですが、これまでは少なくともどうやって精度を上げていけばいいのかがよく分かりませんでした。
一方、われわれが活動している目的はそもそもそこではないという要素まで入ってくるというのが経済学の面白さではあります。ただ、そこはこれまで話してきたこととは違ってきます。例えば、囲碁でも「勝つことが目的じゃなかったんだ」と言い出すと、ディープラーニングのそもそもの目的自体が変わってしまうので、それは話が違うのではと思います。
松尾 そうですね。やはり人間は生物なので、いろいろなレベルの目的を持っています。あるときには「勝つことが重要だ」と言うし、あるときには「いや、これで結局負けたけど、それは勝ったということだよ」と言うかもしれません。そのあたりは、人間が生命を持ったエージェントだからでしょう。しかし、AIの問題設定としては、目的が与えられた中でどうやるかが重要です。
GDPについては、僕は専門ではないのですが、次のように考えています。「人の幸せ」などと言い出すと、最終的には脳内の報酬物質の量だということになってしまいそうなので、そうなると判断が非常に難しくなります。人はある状態が幸せだと思っても、それにすぐ慣れてしまうので、その状態が継続したら幸せも続くというわけではなくなってしまいます。このように考えると、客観的な指標はなかなかありません。その意味では、GDPのような経済的な指標は、仕方ないというか、今使えるものとしては一番良いものの1つなのではという気もします。
●経済学では満足度を人々の行動から推測し、議論を組み立てていく
柳川 経済学では、GDPが政策目標の指標として使われてきました。しかし、経済学自体は、必ずしもGDP最大化のためのモデルを組み立てて議論をしてきたわけではありません。一般的に目指してきたのは、社会的な厚生やソーシャルウェルフェアの最大化です。この部分はもちろん、心理的な要因が全部入った価値観で考えてられてきました。
それでは満足度のようなものをどうやって測るのかというと、1つには、おっしゃったような脳内のデータを参照するという方向があり得ると思います。というのは、脳神経科学と経済学を融合させた分析が進んでいるからです。しかしこれが、安定的な構造をもたらしてくれるかといえば、なかなか難しいのではないかといわれています。
経済学の特徴的なところは、心理的な部分は直接測れないと考え、人々の行動から...