●大事なのは人から好かれるかどうか
井口 結局、全体としてみたとき、小学校に入る頃に社交性があって友だちから好かれるか、これが一番大事。それから、集中力があるか、達成感があるか、責任感があるか、道徳心があるか、こうした部分を見て、だいたい良いねと思えばそれで良いわけです。そうではなくて、妙なところばかり気にする。一番困るのは、やはり人から好かれないということ。
―― 人から好かれないということですね。
井口 だから、そのときには好かれるような工夫をすることです。
―― それは、どういうふうにすると好かれる子どもになりますか。
井口 例えば、テレビばかり見ていて人付き合いが悪いと。そのときには、友だちに「今日、うちにちょっと飯食いに来てくれんか」と頼む。それで、子どもに「今日はね、お客さんが来るからね、リンと鳴ったらすぐ出てね、『ようこそおいでくださいました。お待ち申しあげておりました』といいなさい」と言う。最初のうちは、なかなか言えない。それでも、3度目くらいには、できるようになる。そうすると、お客さんである友だちが、「かわいい、かわいい」と言ってその子を横に置いて、面白い話などするわけです。それは、テレビを見るよりも、よほど面白いやないですか。
―― 子どもからすると、そうですね。
井口 そういうことで、テレビ離れをさせれば良い。そのようにして、大人がいつも目をかけてあげれば良い。
―― なるほど。そのように、「こういうあいさつをしなさい」とか、「おじさんが来るからこのようにしなさい」とすると、おじさんが喜んで「ああ、よくできた子だ」と褒めてくれる。そうすると、パターン認識で、子どもはうれしくなると。
井口 それは一つの応用問題のようなものやからね、そういう風にはならないことだってある。要は、そのように環境を変えてやると。
―― なるほど。
井口 子どもはすぐ慣れる。放ったらかしにしておいたらいかん。
―― そのように導いてあげると、小さい頃の子どもは比較的考え方を容易に変えられるということですね。
井口 そういうときには、「学校を卒業して世の中に出ていくときに、一番大事なのは人付き合いよ」という。自分の話を聞いてくれなきゃいかんからね。そういう風にして、人間関係、例えば友だちとけんかしてはいけないとか、そのようなことを学校で覚えなさいと。そういうことをいうと、子どもは分かるわけです。
●小さい頃に「この子を天才に」と詰め込むと大変なことになる
井口 それとともに大事なのは、天才的なことについてです。音楽などは普通3歳くらいから習わせるといわれますが、要するに知性的なことです。例えば、漢字を見せると3歳でも読むことがあります。「ああ」と言って、親はびっくりする。それで、もっと他の字を持ってきてくれという。すると、またすぐ読むわけです。「あ、これ、すごいね」といい気になって、どんどん続けていくと、えらいことが起こる。
―― それはどういうことが起きるのでしょう。
井口 私が知っているケースでは、ある時に言葉が出なくなった。というのは、3歳までの時期は、漢字を読むというような時期ではないのです。それなのに、親が「この子は天才や」といって、その時期にどんどん詰め込むわけです。そうすると、回路が不自然になるわけです。つまり、言葉を発するような時期に、字を覚えるような回路を使うことになるので混乱するんです。私が知っている人は、パタッと言葉が出なくなった。これが大変。
ここだけの話ですが、その子には弟がいたのです。その弟が、自分の兄貴がそうなったというのを見て、親が心配しないように振る舞う。実にその気配りがいいのですよ。むしろその気配りの様子を見て、涙が出るんです。このように、そういった悪い状況でも、人間の脳はとてもよくできている。
しかし、一番の問題は「この子は本当に天才かもしれないから、さまざまな難しいことに挑戦させれば、あっという間に人もうらやむ天才になるだろう」と思うときに、裏目が出ること。人間の脳を、逆に使っているわけやから。
そのとき、「この子を天才にしよう」という、偽りの言葉を大人が出すわけだ。そんな天才にならなくてもいいやないか、普通の人間になればいいと私は思いますね。
●親がちゃんと“人間”になっていないとダメ
―― 先ほどの話からすると、小さい頃はパターン認識で覚えていくので、そうした脳の仕組みを大人が理解せずに、そうではないところで頭の使い方をさせてしまうと、子どものほうが混乱してしまうということですか。
井口 ですから、子育てを見たときに、親の側に抑制が効いていないね。「自分はダメだったけど、この子には大きな幸運が来たよ」と思っている。その言葉の卑しさ。
―― 卑しさ、で...