●悪い意識を止めるために道徳を置く
―― もう一つ先生にお聞きしたいのが、いわゆる道徳教育です。道徳をいかに教えるかという点も、非常に大事だと思います。日本では先ほど江戸時代の例が挙がりましたが、道徳教育はどのように進めていけば良いでしょうか。
井口 これにはいろいろな考え方があると思います。私自身は、次のような考え方で一つまとめています。先ほどいったように、“ヒト”を人間に変えていくというとき、それをするには何が必要かというと、教育だといいましたね。教育がそれをするというその内容を分かりやすくいうと、自意識を持つ、つまり自分で意識すること。「自意識」というのは、分かったような、分からないような、非常に通俗的な言葉ですよね。
その通俗的な言葉をここで用いるのには、大きな意味があるのです。人間を含めた動物は全て、環境とよく調和する必要がある。調和しなければ、絶滅するわけです。絶滅するというのは大きなことですよ。要するに、環境と調和するのは、ものすごく大きなことです。
人間の場合に、環境と調和するとはどういうことか。ある強い意識を持てば、突起が出てニューロン化するわけです。それで、ニューロン回路ができます。だから、ある意識を出すと、それに対応してニューロン回路、すなわち脳ができますね。
ところが意識には、良い意識と悪い意識があります。善悪の意識ですね。一番はっきりするのは、わがままな意識ですね。人をだまそうとする意識。これも意識のうちです。それらは環境と調和をしないわけです。だから、環境と調和をするような意識だけにしておかないといけません。ということは、自己を抑制すると。
どの宗教も、自己抑制を道徳の根底においているわけで、自分を抑制するという意識を持って、道徳を守れということです。だから、自分の自覚で悪い意識を止めること、抑制をかけることで道徳を守るということを条件にして意識をすると、悪い意識が入りませんから、良い意識だけでニューロン回路ができます。良い心ができる。それが心的エネルギーを発生します。
―― 心的エネルギー、つまり心のエネルギーですね。
井口 だから、道徳の生物学はそこなんですよ。悪い意識を止めるために、道徳というものをそこに置くと。
●他者操作は一番悪い意識、道徳的に禁止しなければならない
―― 逆に、人間の場合は、悪い意識が入ってしまうと、そういう形で脳がつくられていってしまうということは、本当に悪いことをやるようになってしまうということでしょうか。
井口 他者操作。要するに、意識とは何かというと、環境に対して反応している自分自身を見る目のことです。
環境に対して自分は反応しているという感覚、それが意識というもの。その中で、良い意識というのは、自分はこう思っているから、多分この子も自分の友だちもこう思っているに相違ないであろうという類のものです。それから、共感するやないですか。昔の言葉に、「友の憂ひにわれは泣き わが喜びに友は舞ふ」というものがありますよ。それと同じように、まことにうるわしい人間関係ができますよね。
ところがね、その意識は他者操作をしようとしますから、自分がこう思うのと同じようなことをこの人間に思わせようと、自分の利益になるように、人をだますことができますよね。
そういうことはいっぱいあるやないですか。だから他者操作が一番悪い意識ですね。それは道徳的に禁止しなければならない。分かりやすくいうと、道徳を守るためには、とにかく他者操作などの悪い意識をふるいにかけて、良い意識だけにして、内部世界に送りこめと。そうすると、内部世界が心的エネルギーを出して、そのようなニューロン回路、脳ができるのです。だから、道徳を守ることによって、悪い脳になることが防がれている。これが道徳の生物学。
●幼年期に自己抑制を経験しないと、本当の自由が分からない
―― 例えば小さい子どもは、比較的残酷なものが好きだったりしますよね。そのままで育ってしまうと、道徳を持たずに残酷な人間になる危険性もあります。おそらく小さい子どもは、そうした両面を持っているような気がするのですが、どうでしょうか。
井口 そういう見方より、積極的に自己主張をすると考える。自己主張をすることは、悪いことではないですよ。自己抑制の反対は、自己主張です。しかし、幼年期にそうした抑制を経験しないと、本当の自由が分からない。
だから、幼年期には、まずわがままを抑えろと。抑えるときには心的エネルギーが発生するんですよ。自分を主張するときではダメなんです。自分を抑え切ったときに心的エネルギーが発生するから、その訓練をして、そして青年期になっていろんなものを見たとき、「これは大義のためにどうしても命がけでやらない...