●国会議員会館での講演、定員300人に420人が集まる大盛況ぶり
江口 さらに私が(2010年に)参議院議員になると、国会という日本の政治のど真ん中で李登輝さんに話をしてもらおうと思いました。
別件で当時の下村(博文)文科大臣のところに行った時、用件が終わった後、「実は、かくかく……」と言ったら、「いいじゃないの。総理に勧めてみましょう」と。「よろしくお願いします」と言ったら、話が菅(義偉)官房長官(当時)に行き、安倍(晋三)総理(当時)にも伝わった。それで連絡があって、「お呼びしましょう」と。「良かった」と思って、すぐに李登輝さんのところへ行くと、李登輝さんのほうが驚いていました。狐につままれたような顔で、私が言っても「エッ?」という感じでした。
―― 今まで入国さえもダメだったわけですから。
江口 「ぜひ日本に来て、国会議員会館の会議室で話をしてください」と言うと、「エエッ」と、まだ信じられないという顔をしていました。
そうしたこともあり、最初に言った「人道上」という名目が蟻の一穴になり、ワーッと水が流れて、ついには国会議員会館で講演してもらう。その時、李登輝さんが語ったのは、「託古改制」ではダメで「脱古改新」という話です。
「託古改制」は中国に古くからあった言葉で、以前の枠の中で制度を行う、前例を踏襲しながら制度を改めていくという意味で、それを「脱古改新」と言い換えた。つまり中国と台湾は違うと。李登輝さんが創った言葉で、自分で紙に書いた文字を国会議員に見せながら、それはもう力を入れて、立ち上がって話をしていました。
この時はギリギリまで水面下で動いていました。表は岸信夫さんと下村さんと古屋(圭司)さん。下のほうでは私が動いていました。だから私は自分の党にも知らせなかったし、誰も知りませんでした。
それで1週間ぐらい前に李登輝さんが来ることとなり、その時、会場の準備があったんです。広い部屋で300席ぐらいつくれるのですが、下村さんや岸信夫さんの秘書たちが、「300も椅子を入れて、埋まらないと李登輝さんに申し訳ない。椅子を入れておく数は、ちょっと減らしたほうがいいのではないか」と。「どうですか、江口さん」と聞くので、「入れておきましょう」と言いました。「空いたら空いたで、いいですよ」と言って300席にした。ところが当日は420名が来たんです。国会議員と秘書で。最後まで誰ひとり出ていかない。その時に「託古改制」ではなく「脱古改新」という話をしたんです。
「一国二制度」はあり得ない。「台湾is台湾」であり、「託古改制」ではなく「脱古改新」なんだと、厳しい口調で話しました。
●石垣島で見た「日常五心」に感激
江口 その後、BNCT(ホウ素中性子捕捉療法)を行っている(福島県の)南東北病院を見たいと。さらに仙台に行き、村井(嘉浩)知事にレセプションをやってもらいました。わざわざ200人ぐらいの席をつくってくれて、李登輝さんも非常に喜んでいました。
この時は10日間ほど、朝昼晩、食事も含めて全部付き合いました。東日本大震災の慰霊もして、台湾に帰られました。中でも日本の国会議員会館で話ができたことは、ある意味、思い残すことがないぐらい納得されたように思います。
石垣島や沖縄本島で、台湾からの入植者の慰霊に来るときも、必ず呼ばれて私も行くのですが、朝昼晩ずっと食事をしながら自分の考えを話しました。私が「人間は死んだらどうなるのですか。天国や地獄がありますけどね」というと、「いや、ないよ」と。「天国や地獄というものはない。人間の死で、おしまいなんだ」と。非常に禅的な、禅宗の考え方なのです。
―― 「ないよ」と、ひと言ですからね。
江口 断言された。
―― まさに「クリスチャンを武士道が下支えしている」という感じですね。
江口 石垣島で、「日常五心」と書かれた湯飲みがあったんです。「感謝」「奉仕」「素直」(「反省」「謙虚」)などと書かれていて(※編注:ハイという素直な心、すみませんという反省の心、おかげさまという謙虚な心、私がしますという奉仕の心、ありがとうという感謝の心)、その湯呑みを見て、非常に感激するのです。「これぞ日本精神だ」と。そして突然立ち上がって、滔々と感動的に話をする。
―― そういうシーンを全部見ていらっしゃるんですね。
江口 李登輝ご夫妻の隣りにいましたから。
李登輝さんは博識・博学だから、即興でもいろんな話を交えながら、感動的に日本語で話されました。
(2015年7月22日)