●日本のスポーツ界の流動性が低い理由
―― 為末さんにお訊きしたいのが、先ほどおっしゃったコーチを選ぶやり方は、アメリカとかイギリスなどのヨーロッパの話で、日本とは違うという点についてです。日本は企業スポーツの伝統もあるからだと思うのですが、例えば陸上でもいくつか陸上が得意そうな企業名があって、そこに入社して、そこのコーチに付いてということになりますよね。日本で移動が難しいのは、なぜなのでしょうか。例えば、A社のコーチに付いたけれど、どうもB社のコーチのほうが自分の特性には合っていそうだと、後で分かったとき、アスリートの方はどういう判断をされるのですか。
為末 2つの観点があると思います。1つは、そもそも構造上の話として、企業スポーツというものがあります。コーチも、選手も企業に雇われているため、所属を替えるためには、会社を辞めなければいけないという形になっています。
一方、ヨーロッパだと学校や企業とは別に地域クラブというものがあって、そのクラブにコーチがいることが多い。そうすると、「生活はこちらでやりながら、スポーツはこのコーチ」というように選ぶことができる。だから、コーチを替えることはもちろん、陸上からサッカーというようにスポーツごと替えることも可能なのです。アメリカの場合は、プロコーチが単独で存在していますので、自由にプロの世界でやっていくという形ですね。
日本の場合は、スポーツと自分が所属している企業や学校みたいなものが全部一致しているため、流動化しにくいという構造の問題が1つあります。
―― やはり動くのは難しいのですか。
為末 ほんの数年前までは、実業団に所属している選手が、別の企業に所属するときには、以前所属していた企業から、「円満に退職しました」という証明書が出ない限り、次の企業に所属できないというルールがあったのです。
―― 証明書が必要だったのですね。
為末 はい。「移籍制限」といって、昔の日本型の終身雇用システムにおいては、引き抜きというのは滅多になかったのですが、それを制限する仕組みが存在していました。今の選手たちは転職をするのは当たり前という頭でいるので、制限されることが大変なストレスになるという問題があったりして、今はもうルールは変わりましたが、システム上そうなっていたというのが大きかったですね。
もう1つの観点は、世界と比較すると、日本、東アジアには、先生のところに指導してもらいにいくという文化があるという点です。そして、しっかり学んで、1回それをゴクンと飲み込むまでは、本当の神髄は分からないということで、とにかく先生の教えを盲信して、何年もやっていく。こうした指導法には、たくさんの人間の能力が開花されやすいというメリットもありますが、才能のある人間を型にはめ込んでしまうというデメリットがあります。つまり、東アジアは、自分の頭で考えないで、言われた通りやっていくことで伸びていくという指導法が比較的強い地域でもあるため、2、3年くらいで移動されると、「いや、10年かけて育てていくシステムなのだから、そんな頻繁に移動されては神髄が分からない」と、嫌がるコーチも多いのです。
10年かけてじっくりと染めあげていく東洋の指導者は、指導というのが小分けにできる、1年、2年と分けて行うことができると考える西洋のやり方を、文化的にものすごく嫌がるところはある気はします。ただ、今の若い選手と話す中で、「東洋の指導法はフィットしなくなってきている」という印象を私は持っています。
●これからの時代、日本的な指導法で進めるのは難しい
―― ずいぶん前の映画ですけど、『カラテ・キッド』(邦題『ベスト・キッド』)では、ひたすら窓拭きのようなことをさせられて、「あれがこの動きだったんだ」と気づくというようなこともありますし、日本では「石の上にも3年」といった話もある。あとは日本ではよく「道を極める」と言いますよね。その企業で勤め上げてこそ、本当の意味で、いろいろなことが分かるという発想も、これまではあったと思います。
為末 有名な話でいえば、日米の両方で教える空手のコーチが、「道場に入るときには礼をするように」と伝える際、日本の生徒には、「礼を続けていけば、意味が分かる」と言うわけです。一方で、アメリカで教えるときには、「礼をするのだ」と言ったら、「なぜですか?」という質問がたくさん来るので、「感謝の気持ちを、こうやって頭を下げて表現するのが大事なのだ。だから礼をするのだ」と言って、礼をさせたというのです。
「それを続けていけば、いつかは意味が分かる」という教えが通用する世界と、しっかりとどんな意味があるかを説明しないと納得しない世界がある。この指導法の違いは大きい気がします。
日本のほうが深いとこ...