●練習量が減っても、パフォーマンスが上がる!?
―― 為末さんにもお聞きしたいのですが、スポーツの世界にもギャップ、ずれというのはけっこうあって、一昔前、二昔前だと、「練習中は水を飲むな」みたいな話があったのが、今は「水を飲まないと死んでしまうだろう」みたいにガラッと変わった。それは、今、コーチなり監督なりをやっている人からしても大きな変化だと思います。若い人に対しての指導の仕方もチェンジすることを求められる局面にある今、スポーツ界はどう対応しようとしているとご覧になっていますか。
為末 スポーツの場合は、データを取ることで、科学的に正しいものが分かりやすいため、「では、これを標準としてやりましょう」と、採り入れられつつあるのが現状です。ただ一方で、指導文化の中で、分かりやすい例でいえば、体罰などは、簡単に直せるようでいて、難しいケースもあります。体罰にもいろいろなパターンがありますが、とにかく強いプレッシャーがかかって、つらい思いをすることが成長につながるという成功体験を持っている指導者が、それを替えるのは大変なことです。
―― 昔は、漫画でもドラマでも、殴って、抱いて、泣き合うみたいな話がよくありましたよね。
為末 ええ。選手が楽しそうにスポーツをしているだけで、「真面目にやっていない」という気持ちが瞬時に出てくるような体験をしてしまっている指導者がいかに変わるか。今、日本のスポーツ界が一番苦労している部分だと思います。
ただ、楽しむこと自体に対しても、パフォーマンスを下げるのではなく、むしろ高めているというエビデンスも、ある程度出てきています。最近でいうと、コロナ禍において、選手たちのトレーニングに制限がかかったため、練習量がガクンと落ちたのはご存じの通りです。それでも、いざ、シーズンが始まってみると、例年よりも成績がよくなっているという現象が起きたのは面白いですね。これはどう捉えるか。それまで練習しすぎていたという捉え方もありますし、チーム練習から個人練習になった結果、それぞれが自分で考えながらやったことがよかったという捉え方があったりと、いろいろな見方があります。
いずれにしても、私たちが思い込んでいたのと違って、練習量が下がっても、パフォーマンスは下がらないどころか、上がったということは、1つ大きなインパクトとしてはあると思います。
もう1つ大きいと思うのは、選手自身が自分の人生で変わっていく局面においては、先ほど柳川先生がおっしゃった「言語化」がとても大切になるということです。
スポーツの世界の方法はやや抽象度が高い。例えば、自分は野球をずっとやってきましたとか、私はラグビーをやってきましたという人が、それをそのまま言うと、「野球とうちの会社の仕事は全然関係ないね」ということになるところを、「そういえば、野球のキャプテンではなかったけれど、チームが沈みがちなときに、悩んでいる人間一人一人に声をかけて、チーム全体が崩れないようにサポートすることが主な役割だと認識してやっていました」ということになると、また全然違う文脈になりますよね。他の世界との共通点が出てくるわけです。
選手たちが、例えば「自分がやってきたことは陸上だ」と思っている限りは、引退した後、他の仕事を探すときになかなか接点が見えない。だけど、「自分がやってきたことは目標を決めて、どうすれば達成できるかを考えて、ギャップを埋めることだ」と思った瞬間に、パッと道が開ける。だから、やってきたことを他でも通用するような普遍的な言葉でまとめられるかどうかが、選手の引退後の人生ではとても重要なのです。そういうことも、今まさに私たちの時代くらいから、少しずつ学んでいるところですね。
●自分がやってきたことを整理し、抽象化し、言語化する
柳川 今の話は、サラリーマンがセカンドキャリアを考える上でも、とても大事なポイントですね。多くの人が定年後のセカンドキャリアとして、どういうところに就職できるのかと悩んでいます。あるいは、もう少し手前の40代とか50代で、別の会社に転職するときに、単に「野球をやっていました」ということに近いような言い方をしてしまって、自分がやってきたことをきちっと伝えられない人も多い。
自分がやってきたことを、その会社の新しい仕事に合うように抽象化した上で、能力を語れるというのが、転職が成功する要素としてけっこうな割合を占めている気がしています。採用する側もそうではないですか。以前の会社がまったく同じ仕事内容なら何をやってきたか分かりますが、別の会社なので、大抵の場合は、違う仕事をやっていたり、やり方も違います。「その会社ではうまくいったかもしれないけれど、うちの会社でどういうふうに頑張ってくれるのか。あるいはどうい...