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「平等」を基調にした社会主義・共産主義の失敗に学ぶ

独裁の世界史~ファシズム編(7)独裁の意味を問い直す

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
現代社会が直面する難問の多くは国境を越えたグローバルなものである。一国では対処できない問題にどう立ち向かうかということは、これまで考えてきた「独裁」とも密接に関わってくる。未来に向かうには、やはり過去を見つめることが必要だ。20世紀において社会主義や共産主義の試みは失敗したが、それは「平等」を基調としたからではないか。見方を変えて、「自由」を基調にした社会主義や共産主義もあるのではないか。そう語り、本村氏はシリーズ講義「独裁の世界史」を締めくくった。(全7話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:36
収録日:2020/01/30
追加日:2021/04/21
カテゴリー:
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≪全文≫

●グローバルな問題解決を阻むナショナリズム


本村 それからもう一つ、非常に大きな問題としてナショナリズムの問題があります。前回、「開発独裁」という言葉を使われましたが、それはどこの国にも起こってきたことです。イギリスから始まった産業革命がいろいろなところに波及して、今や中国からアフリカあたりまで及ぼうとしています。ただ、それらは結局ナショナリズムという一国単位で起こってきたことです。

 しかし、今起こっていることは、例えば古代にナイル川やティグリス・ユーフラテスの氾濫が起こったようなことです。一部族が一生懸命それを止めようとしたって、できない。だから全部が連合してやらないといけない。今の問題はそういう問題なのだということで、気候変動によって生態系が破壊されたり、ロボット化がどんどん進んでいったりすることは、一国単位で考えることではなく、世界規模で考えなければいけない問題になってきている。

 ところが。そういう視点があまり明らかになっていない。そこで、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が言いたいのは、一つには今言ったように「ナイルの部族やメソポタミアの一部族で解決しようとしたってできない問題」なのだから、もう少し問題をそのようにとらえようということです。

 もちろんナショナリズムが全て悪いというわけではない。ナショナリズムにも、伝統文化を持っているなど、いい面があります。そういうものはもちろんそれなりに大事にしながらも、起こってきている気候変動などを、なぜもっとグローバルなレベルで考えられないのかということに、彼は非常に苛立っているように思いました。そのあたりを、どちらかというと彼は悲観論的に考えているようです。


●「自由」を基調にした社会主義の可能性


本村 さて、もともとは共産主義の理想だと言っても、20世紀の歴史の中で社会主義共産主義の試みは失敗しました。ただ、それは「平等」を基調とした社会主義共産主義が失敗したのであって、見方を変えて、「自由」を基調にした社会主義共産主義もあるのではないかと私は思います。

 そういうものを考えていったときに、デジタル独裁政でも何でもいいですが、ロボットやドローンに仕事をさせて、人間は余った時間を子育てなり自分の趣味なりをのばす時間に使う。そのような方向に動いていけるように、もう少しみんなが自分のやっていることに責任を持って向かえるようになれないかと、私は思っています。

―― そういう方向性だと面白いですよね。独裁政・民主政・共和政ということと考えあわせると、ローマ人も奴隷に働かせていたので、今の話とローマの市民は最終的に合致してきます。

本村 そうですよ。ローマというより、ギリシアからそうです。

―― ギリシアもそうですね。民主主義というのも、労働階級としての奴隷を前提に成り立った社会だったわけですが、それが機械になったときにどうなっていくか、ということですか。

本村 20世紀あるいは近代の社会は、一つの大きな技術革新なり経済成長なりで競争になってしまった。古代にはそれがあまりなかったわけです。


●デジタル独裁に向かうには古代の知恵が必要


本村 奴隷に労働を任せておけば、富裕な人たちは趣味をのばすようなことができた古代の状態が、デジタル化、ドローン化、ロボット化などをうまく使えば、手に入る。逆にいえば、ナイル川の氾濫や奴隷制のことなどをもうすこし研究してもいいのではないかと思います。

 ところが、文科省のほうは今度「歴史総合」という新教科をつくって、そこは「近現代史だけに」と言っています。そうではなく、むしろ古代だからこそ、いろいろなことを今と対比して、そこに戻りつつあったり、あるいはその中で起こったことが分かりやすくなる。ナイルの氾濫もそうですが、同じようなことが今起こっているのだという認識が持てるからです。もしも世界史全体を近現代史のために切り取る「歴史総合」が中心科目になっていくなら、ますます世界史を別の形で、教養として知らせる必要があるのではないかと思います。

―― そうですね。おっしゃる通りだと思います。今おっしゃったデジタル独裁社会になって、もし機械が働いて、人間が政治や文化を行う社会になったとすると、また改めて政治のあり方が問題になるわけです。それこそギリシア的な民主主義で行くのか、ローマ的な共和主義も含めたもので行くのか、それとも独裁政に行くのか。

本村 独裁政でなくても、ローマのように独裁官を設けて、非常事態のときだけやらせるような知恵があってもいいと思います。

―― そのあたりのことは、まさに今、先生がおっしゃったように、古代のいろいろなあり方を見れば、今の目から見ることで非常によく見えるわけですから、比較検討していくことができますね。

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