●当時の現代史が異様に薄い『古事記』
鎌田 『日本書紀』では、神武天皇が巻の三に登場するに至ります。そして神武天皇から持統天皇までの天皇の歴史を編年体で年代記的に書いていく。そして持統天皇の時代に近づけば近づくほど、緻密に詳しくなっていきます。
『古事記』の中には、仏教の「ブ」の字も出てきません。儒教がやってきたことや、『論語』が日本に入られたことは、少し書かれている。仏教が日本に入ってくることはとても重要なことです。
『古事記』は女帝・推古天皇で終わります。推古天皇のときは、聖徳太子が摂政となり、聖徳太子のおじいさん、推古天皇からすればお父さんに当たる欽明天皇の時代に仏教が入ってきたことなります。欽明天皇、その息子であり聖徳太子のお父さんでもある用明天皇、聖徳太子のおばさんである推古天皇の時代は、仏教が非常に重要な時期です。ところが、仏教について記述は一切ありません。
『古事記』の近代史における最大の出来事は、仏教が入ってきて、日本が徐々に仏教化したというプロセスです。それを『古事記』は、故意に隠していることになります。
『古事記』は頭でっかちで尻すぼみと言いますか、神話的な物語は非常に量が多いのだけれど、(『古事記』にある)最後の天皇・推古天皇になると、文庫本『古事記』(倉野憲司校注/岩波文庫)では、漢字だけで記述されていた推古天皇の記録は、1行半もありません。
―― なるほど。その漢字での記述ではということですね。
鎌田 その前の崇峻天皇は、たった1行です。聖徳太子のお父さんに当たる用明天皇の場合は4行です。
このように『古事記』は急激にしぼんでいるのです。これはあまりにもバランスを欠いた書き方です。冒頭のほうであれほど豊かに神々の物語を書いているのに、実際に推古天皇はとても大事な天皇の時代にもかかわらず、わずか1行少しで収めている。ここでさまざまな出来事が起こったにもかかわらず、です。
そして、『日本書紀』では聖徳太子という重要な人物が出たことが本当に詳しく書かれているにもかかわらず、『古事記』では一切カットされている。『古事記』と『日本書紀』を比べると、出雲を縮小した『日本書紀』、現代史を縮小した『古事記』で、どちらもバランスを欠いているのです。
―― 書物の目的がそもそも違うということですよね。『日本書紀』は歴史書であり、『古事記』は歴史書というより神代の話に重きを置いた書だということになるのでしょうか。
鎌田 そういうことになりますね。『古事記』を何と読むか。「ふることぶみ」と読むとすると、古くから言い伝えられてきた、語り伝えられてきた歌物語的な世界に比重を置き、それを物語る文です。そのような制作意図であるならば、現代史の記述が多少手薄になっても、筋は通ると言えます。
だけど、いくらなんでも現代史が1行では済ませられないでしょう。おかしいですよね。
―― まあ、そうですね。
鎌田 推古天皇を1行で扱うくらいなら、もう書くなよ、と思うくらいです。たった1行で終わることは失礼千万だと思うのです。他の神様はすごく豊かな物語として書かれるのですから、少なくとも10行、20行は費やすべきでしょう。そして、やはり重要なことはきちんとそこに書いておいてほしいと、後世のわれわれは思います。ところが、そういうものを全部カットしている。
―― これを書いた人にとってはそれほど大きな意味がなかったということなのでしょうね。1行で終わってしまったということは。
鎌田 だけど、矛盾しているのです。それは天武天皇です。天武天皇は、推古天皇のずっと後の天皇なので、『古事記』の本文には出てきません。ところが、序文には、天武天皇の命によってこのようなものができた、とかなり詳しく書いているのです。
こんな冒頭に、うまく神話の物語をダイジェストしながら、712年頃に天武天皇の命によって、太安万侶が『旧辞』と『帝紀』を集め、それらを元に『古事記』が出来上がったという経緯を詳しく書いているのです。それならば、序文に殊更書くのではなく、本文にきちんと反映してほしいと思います。
●『古事記』の序文はあとからつくられたのか
―― でも論者によっては、『古事記』全体が偽書だという説もあれば、序文だけが偽書だという説もある。『日本書紀』の場合は、国の公のものですから、偽書では成り立たないのだろうと思うのですが、『古事記』の場合はいろいろと説がありますね。
鎌田 これがまた百説あって、論議に論議を呼んでいるところですね。私も序文偽書説は根拠があると思っています。『古事記』全部が偽書だとは思っていません。
―― その説では、日本語の文法用法が、本文はかなり古いもので書かれているけれども、序文だ...