●1400年遠忌を迎える聖徳太子への憧れと尊敬
ご機嫌いかがでしょうか。上野誠でございます。今日の視聴者はネットで勉強をするという方々ですね。
聖徳太子が生まれ、亡くなってから1400年という時間が過ぎました。そのために昨年(2020年)からさまざまな催しが行われ、今後数年ほどそれが続く見込みです。聖徳太子という人に対する日本人の憧れや尊敬のようなものの大きさを、私たちはいろいろなところで感じていると思います。
いったいどういうことかというと、まず聖徳太子が厩(うまや)で生まれたという生い立ちがあります。救いの主が厩のような適切でない場所で生まれるというのは、おそらく救済者が貧しい人々の心に寄り添うことを表しているのではないでしょうか。キリストの生誕の物語と通ずるところもありますが、これはどちらかが真似したということではなく、おそらく貧しい人々の心に寄り添うということなのでしょう。
聖徳太子は仏教を深く信仰し、学問に努めました。学問に努めるだけではなく武術にも優れ、馬に乗って富士山を駆け上がったともいわれる。そうしたスーパーマンのような存在でもあるわけです。
さらに親孝行をし、父、用明天皇の病気平癒のために祈る。聖徳太子の祈る姿は、平安時代以降たくさん描かれています。そうした祈る人や親孝行の人のイメージの上で、仏教を日本に広めた人でもある。仏教は西からやってきて日本で広まりましたが、仏教の東端はおそらく日本と考えてもいいと思います。
●「聖徳太子という人物は実在しなかった」という議論
さらに大きな話をしますと、日本で広がった仏教というものを西洋キリスト教社会、特に英語圏やドイツ語圏に広く翻訳し、広めた鈴木大拙という人物がいます。つまり仏教を広めた英雄を日本で1人挙げろといわれれば、聖徳太子だし、西欧世界に広げた人物というと鈴木大拙ということになります。
先年亡くなったスティーブ・ジョブズが禅に対して極めて高い評価をし、自分自身も禅者として生きようとしたことは、日本のビジネスマンにとって有名な話ですが、彼の仏教理解のおおもとは鈴木大拙にあります。
それらを合わせて1000年単位で見ていった場合、聖徳太子の大きさというものは計り知れないと考えればいいと思います。
ところが、今を去る二十数年前、「聖徳太子という人物は実在しなかった」という議...