●「昔の、あの偉そうなおじさん」がいなくなった
執行 ただいつも自慢にしている、あのトインビーの『歴史の研究』を読んだのが高校生から大学生のときで、あれで失明しましたから。失明したということは、バランスを間違えた。
―― 間違えたのですね。
執行 体のほうを苛んでいたわけです。だから自分が「読書をしよう」という魂を抱くと、肉体は「させまい」とするほうに動くのです。「疲労」です。「これをしていると健康に悪いぞ」と。だから、「疲労」と「読書しようとする魂」との拮抗作用を覚えることがコツなのです。これは私の経験では失敗しないと覚えられない。
―― やはり体にしみつけないとダメなんですね。
執行 ダメなのです。だから、やるところまでやらせないと。
―― それが今はできないから、ひ弱なやつしか出てこない。
執行 そういうことです。例えば自殺者を一人止めるために全員がやってはいけないということになるのです。ちょっと言葉が悪いですが、昔だとそういう人は「そいつが弱いんだ」で切り捨てられたわけです。
―― それでおしまいですよね。
執行 勉強なら、できる人が学校では中心なのです。でも今は、できない人が落ちこぼれないようにやろうとしているから、もう学校ではありません。
―― もう全体的にレベルが、めちゃくちゃ下がっていますよね。
執行 勉強したい人は、学校でしていません。みんな自学自習だし、塾です。学校で勉強している人なんて聞いたことがない。
―― そうでしょうね。
執行 弱いほうが中心だから。これは間違いなのです。中心はあくまでも、良いほうでないと。これは弱い人間を「見捨てろ」とか「殺せ」といっているのではありません。
―― ええ。でも中心は……。
執行 中心は、やはり良いほうです。
―― 良いほうを置かないと1万人か2万人のジェントルマン……。
執行 も出ないし、民族も興隆しません。
―― もったいないですよね。
執行 それは、もったいないです。
―― ちょっと前まで、70年代まではまだいたわけですから。
執行 私が30歳になるまでは、たくさんいました。ただ30代から確実にいなくなった。
―― 40年前ですね。
執行 私が20代の頃は各業界でちょっと名を成している人は、何かで知り合うとみんな魅力がありました。
名前を忘れましたが、何年か前に(作家の)塩野七生みたいな外国で成功している知的な女性が日本に戻ってきて、ラジオかなにかで話しているのを聞いたことがあります。「日本はどうしちゃったの?」と。「私たち女から見ると、昔のあの偉そうなおじさん、偉そうな男ども、あの人たちはどこへ行っちゃったの?」といっていました。偉そうなのはよくないとしても、それでも「偉そう」というのは、それなりの努力をしているということです。
―― そうでしょうね。
執行 「優しい」というのは防御だから。私なんてこんな態度だから、風当たりがすごく強い。社員もみんな。
―― なるほど(笑)。
執行 いいたいことを、いっているので、やはり社員からも強い。誰でも人に何かを守らせようとすれば、自分にも返ってくることはわかります。人に優しくするのは「自分にもして」ということです。それこそ作用・反作用の原則です。
だから他人と付き合っていて反発が返ってこないなら、作用を与えていないのです。己は作用も何もない生命体。これは無意味ということです。無価値。生命体というものは、エゴイスティックです。他を圧しようとする作用があって初めて、生命だから。
―― そうですね。
執行 だから、(反発が返ってこないのは)無価値だと思わないと。私などはすごいですよ、価値は(笑)。各所に行って、かなりけなされていますから。
―― かなりエネルギーをぶつけているから。
執行 しゃべるのも全部そうです。
―― ぶつかり合いがなかったら、そもそも生きている価値がない。
執行 そうです。私の人生理論は、生命燃焼理論だから。私には「金持ちになりたい」「偉くなりたい」という思いは一切ない。「名誉が欲しい」とか「評価」とか「人から好かれたい」とか。だから、できるのです。とにかく生まれたからには、死ぬまで自分に与えられた運命を生命燃焼して生き切ることだけ。死ぬ日まで生き切ればその人生は成功だと、知り合いにもお客さんにもいっています。それに挑戦している人がいないのです。
何てことはないのです。自分らしく、嫌われようが、乞食になろうが、やりたいようにやればいいのです。そして自分で責任を取るということです。間違っていたら、乞食になればいい。それが英国ジェントルマンです。
―― 先生は大学を出るときまでに欲しいものがなかった。
執行 これは環境です(笑)。
―― これはやっぱり相当な強みです...