●壁が大きいのは、本人に価値があるからこそ
―― 先生がここ(執行草舟著『生くる』講談社)に、壁がいくら出てきても、そのたびに乗り越えられると書いていました。
執行 壁が出てくるのは当たり前なのです。(『生くる』を)ちょっと読んでくれたらわかりますが。
―― 作用・反作用ですね。
執行 そう。世の中は作用と反作用という物理学の法則でできています。ニュートンの法則です。50グラムで押せば50グラムで返る。「物事が動く」というのは、「ほんの少しどちらかに傾いた」ということです。崩れるのもそう。良いのもそう。それが0.01グラム(ほんの少し)加われば、物事が動く。その努力が、人生の努力なのです。
だからまず作用と反作用がこの世にあり、われわれの人生は「作用・反作用の法則に支配されている」ことがわからないとダメです。これがわかると『生くる』にも書いたように、まず「運が悪い」とか「自分が損した」といったことはなくなってきます。どちらにしても、受けるからです。
本にも書きましたが、これを昔は「人間の成長」といいました。壁や反対が大きいほど自分が押す力が強くなります。だから昔の人は、反対が大きいほど誇りが出たのです。へこむのではない。反対が出ないことは、ありえませんから。そして「反対が大きいほど、自分の存在が大きい」ということなのです。西郷隆盛クラスになれば、もう巨大です。
―― 確かにそうですね。
執行 別に本人が何をしたではない。もう存在が巨大なのです。このへんを今の人は本当にわからなければダメです。壁が大きい。嫌なことが大きい。失意が大きい。だとしたら、それは本人に価値があるということなのです。
―― バリューがあるわけですね。
執行 そうです。今はみんな幸福です。不幸な人は、あまり見たことがない。みんなマイホームで「僕の家、最高!」などといっている。表面上は仲良くて、女房とも喧嘩したやつはいない。親子も言い争わない。喧嘩もない。昔の夫婦なんて、喧嘩をしない日はありません。話したことがあると思いますが、私の家は大変でした。人助けで(笑)。逃げてくるやつを匿うので。
―― なるほど(笑)。
執行 昔はそうです。でも、昔の家族は「絆」が強いでしょう。
―― 強いですね。
執行 そうなのです。殴り合いの喧嘩をしていても強い。違いはそこなのです。今は幸福で平和になり過ぎている。だから壁はなくなってきている。でも、壁がなくなるということは、実は「自分に価値がなくなってきた」ということなのです。
―― そういうことですね。
執行 それをわかれという話です。だから反対に、壁が出てきたら、自分の言動や存在に、何か作用が出てきたということです。
―― 価値が出てきた。
執行 作用イコール価値です、人間存在の。例えば私だってこうして発言すれば、若い頃はみんなから右翼といわれていました。「あの右翼野郎」「執行、ああ、あの右翼か」と。それは私の発言です。右翼だろうが何だろうが、私の発言には価値があったのです。
―― そうですね。影響力があった。
執行 武士道だから、当時は右翼といわれる。
―― はい。
執行 今はさっぱりなくなった。みんな丸く収まってしまって。私は今71歳ですが、私が高校生までは文学論でみんな殴り合っていました。私も殴り合いの喧嘩をした人は何十人もいますが、みんな文学論や意見の対立です。もう1件もないでしょう。
―― 文学論自体がないですね。
執行 ないですよね。だから意見も何もない。では、文学をなぜ読まなくなったかというと、いろいろな人にいっていますが、「人生の問いを得ようとしていない」からです。文学とは簡単にいえば「愛とは何か」「生きるとは何か」、そういう問いを得るために読むのです。
―― 確かにそうですね。
執行 だから今は必要とされていないのです。問いが要らないから。問いがあると、作用が出てくる。「愛とは何か」と考えただけで、存在の中にエネルギー作用が出てくる。例えば、奥さんの反発が出る。「ん?」という(笑)。「なんかこれ、おかしいぞ」みたいな。でも、それが本当の夫婦なのです。
―― そうでしょうね。でも、問いがないと、それは読まないですよね。
執行 そうです(笑)。
―― 問いも出てこなくなりますね。
執行 私の青春時代までは、みんな誰でもそうで、思春期はそういう問いを持ちますよね。「こんなことでいいのだろうか」「友情とは何か」「愛とは何だろう」「生きるとはどういうことだろう」。そうするとどうしても、昔の偉大な文学になるわけです。
―― 確かにそうですね。
執行 それで読む。私もそうです。
―― でも最初から天井が低くて小さい幸せでやっていたから、文学が要らなくなったのですね。
執行 だから、...