●『月と六ペンス』を「面白い」という心性
―― しかし、それは難しい本をみんな読まなくなったのと同じですね。
執行 ある意味では、そうでしょうね。
―― 自分に対する問いがないのですから。難しい問題だけでなく、『鬼平犯科帳』も見なければ、山本周五郎も知らない。藤沢周平も知らない。
執行 また、読んでも感動しません。
―― 忠臣蔵も(映画やドラマから)ついになくなりました。12月14日(の討ち入りの日)に。
執行 もう、全然ありません。
―― すごい国です。
執行 今、山本周五郎の名が出ましたが、あれは読んでもダメです。感応する情緒がない。私はいろいろな文学を人に薦めてきましたが、最近はもうほとんど薦めることもない。
だって、30年前の段階で(こんな話がありました)。例えばゲーテの『若きウェルテルの悩み』は、私が小学校4年のときに読んだ恋愛小説で、純愛の定番です。あれをちょっと恋愛に興味がある若い女性のお客さんに「恋愛だったら純愛をまず覚えなきゃダメだから、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読んでみろよ」といったのです。ひと月かふた月してまた来たのでしゃべったら、「あの『若きウェルテルの悩み』には何が書いてあるんでしょう」というのです。
―― なるほど。
執行 恋愛小説だと、まずわからない。二十何年前で、そうです。あれは好きだけれどいえないで悶々として、最後に自殺する物語です。人妻に恋をして。だけど、その情感がわからないわけです。その若い女性がいうには「好きだったらいえばいいのに」と。
―― そうか、情感がわからない。
執行 「自分の思いが遂げられないと、なぜ死ななきゃならないのか」とか。そういう「なんで?」になる。「この人って後ろ向きだ」とかいってしまうのです(笑)。
―― (笑)。けっこうコミュニケーションができなくなりますね。情感がわからないのですね。
執行 これは一例で、ほかにもいろいろな本を薦めましたが、今は薦めることもない。読んでもわからないので。サマセット・モームの『月と六ペンス』は、破滅してタヒチに行ったポール・ゴーギャンの生涯を書いたものです。激しい人間で、すべてのものを捨ててタヒチに行って絵だけを描いて、最後にその絵を全部燃やして自分も死んでいく。激しい小説です。私はとても感動した。
それを「情熱とは何か」ということで人に薦めて、「どうだ、読んだか?」といったら何といったか。「読みましたよ。面白かったー」。人の悲劇の代表的なものを「面白い」というのです。もう心性が違う。
―― なるほど、心性が違うんですね。
執行 ドストエフスキーもそうです。ドストエフスキーは生きるか死ぬかの文学ですから。私が紹介した人は何十人、何百人といますが、みんな「楽しかったです」「面白かったでーす」で終わりです。ドストエフスキーなんて面白いわけないのです。
――「面白い」わけがないですよね。
執行 悩みの種が1つ増えるだけです。だから、もうダメなのです。
―― 情感が全然ないのですね。
執行 そういうことです。
―― それはしんどいですね。
執行 だって右翼といわれていた私が「憲法9条護持」を唱えているのだから(笑)。
―― それはそうですね(笑)。
執行 自分でも嫌になります。でも、国の最低生命線を守るには、それしかないので。
―― もう戦えない国になった。
執行 戦えないのだから。憲法改正しようが何しようが。憲法改正で政治家は必死になっていますが無理です。憲法改正して戦争権を認める国になったら、じゃあ誰が戦うのか。
―― すごい国ができてしまったのですね、(戦後)77年で。
執行 すごいところまで行った。もう何も理解力がない。
―― 建て直さなければいけないエリートもいない。
執行 建て直しは無理です。
―― やはり悲惨な目に遭ってからしか気がつかないのでしょうか。
執行 だから私は魂の保持をみんなにいっているのです。「テンミニッツ(TV)」もそうしたほうがいい。どちらにしてもダメになるけれど、人間の魂を保持している人は残ります。残る人間にならなきゃダメです。それを今みんなにいっているのです。
―― 先生が集めておられる芸術とか。
執行 全部そのためのものです。よくなろうとする時代は、とうの昔に終わったのです。
―― 反転攻勢できる時代は、もう過ぎている。
執行 もう全然。1つ、2つの問題ではないから。
―― 複雑に絡み合っているから。しかも、ある一定層ができてないから、やりようがないのですね。
執行 そうです。個人個人にはまだ立派な人もいて、それはわかりますが。
―― ある程度の塊がないと、どうにもならないですね。
執行 それは、ならない。
―― 塊を作らなかったし、下に行くほどもっと...