●カトリックとプロテスタントは何が違うか
―― 今回、先生に最初におうかがいしたいのですが、日本人の場合、プロテスタンティズムの考え方を肌で理解するのは、なかなか難しいと感じています。特にカルヴァンの予定説のような話はどういうことなのだろうということがあります。そのあたりはいかがでしょうか。
橋爪 プロテスタントというものがあるのが、キリスト教の特徴ですね。宗教改革があったからプロテスタントが出てきたわけで、その前はカトリックだった。もう一つ、東方正教会というものもありますが、時間の都合で省略して、カトリックとプロテスタントの話だけします。
―― はい。
橋爪 まず、カトリックもプロテスタントも一神教のキリスト教です。一神教のキリスト教の原則は、「神(God)が、一人いる」。そのGodがとても大事です。「Godに従いましょう」「Godを信じましょう」となるわけで、ここのところはカトリックもプロテスタントも同じです。
では、意見が違うのはどこなのか。キリスト教の場合、神の子(救い主、イエス・キリスト)という存在がいます。この人は神の全権代理人として生まれ、十字架にかかって人びとを救おうと思い、その通りに救って死んでいく。そして復活し、天に昇り、「また、後で来る」と言った、という話になっています。だから、Godを信じるのはイエス・キリストを信じることで、ここもプロテスタントとカトリックで同じです。
どこが違うかというと、イエス・キリストが天に昇ってしまった後、また来るまでの間、どうすればいいか。ここが違うわけです。
●教会はGodに「口利き」ができるのか、できないのか
橋爪 カトリック教会は、次のように言います。
イエス・キリストの一番弟子にペテロがいて、ペテロは天国の鍵を預かって、「教会を建てなさい」と言われたから教会を建てました。ペテロの後、代々の後継者がいて、それがローマに陣取っている「教皇(法王、Pope)」です。
彼が何をするかというと、イエスに代わって人びとを救う。本当に救うことはイエスにしかできないけれども、「この人を救ってくれませんか」と、口利きをするわけです。この口利きのことを「執り成し」といいます。そういう権限が教会にはあります。
だから、教会につながっていないとイエスに許してもらえず、救われない。教会とのつながりを断ち切られてしまう(破門される)と、とても救われない、というやり方です。こうなると、教会はとても絶大な権限を持つと思いませんか。
―― そうですね。
橋爪 そこで教会は税金を取ったり、王様を指導したりと、とにかく威張っているわけです。
こういうのがヨーロッパのやり方なのですが、プロテスタントは「ちょっと待てよ」「聖書のどこに、そんなことが書いてあるのだ」と言い出します。
聖書をよく読むと、イエスがいろいろ言っていますが、「教会をつくれ」というのは「みなでイエスを信じなさい」という意味で、「カトリック教会のようなものをつくりなさい」とか「教会税を払いなさい」というようなことはまったく言っていない。
だから、私たちは「イエスに従う」と。イエスに従うということは、イエス・キリストのことが書いてある聖書=神の言葉に従うのであって、それ以外には従わないということである。
教会とは何か。教会というのは人間がつくった組織ではないか。一神教なのだから、イエス・キリストに従えばいいのであって、人間がつくった教会に従う必要はない。
このように言って、カトリック教会を飛び出したのがプロテスタントですから、プロテスタントは教会が「執り成し」をすることを認めていないわけです。
―― はい。
橋爪 ところが、(教会を)飛び出すと、バラバラの個人になるしかありません。
―― そうですね。
橋爪 バラバラの個々人になってもいいのですが、それでは心細いといいますか、カトリックに対抗する手前、「やはり集まらないと」ということで、集まってプロテスタント教会をつくる。これが普通です。
―― はい。
橋爪 そこで、ルターの考え方に基づく「ルター派」とか、ルターは生ぬるいと言ってそれより一歩進んだ「カルヴァン派」ができる。この二つ(の勢力)が大きい。
―― はい。
橋爪 これらは国ごとにいろいろ流派があるけれども、彼らはいずれもイエス・キリストを信じるということ一本で行くという考え方で、聖書を非常に重視します。ここまで、いいですか。
―― よくわかります。
●「救済予定説」を宝くじの抽選の仕組みで考える
橋爪 では、誰が救われて、誰が救われないのか。それを決めるのはGodで、人間にできることは何もありません。全てGodにお任せするのが、一神教の正しい姿である。ルターもそのように思っていたに違いない...