●メタファーと時代の文学的思潮からみた宮沢賢治作品
── ということで、皆さんからお寄せいただいた質問をお読みしたいと思います。まずひとつ目、「タイタニックの例のように、メタファーとして表現されているところ、また作品が書かれた時代の文学的思潮が特徴的に著されているところがありましたら、ご指摘いただきたいと思います」。メタファーについてのご質問ですね。
鎌田 タイタニックの前後か「鳥を捕る人」のところかに、ドボルザークの『新世界』(交響曲第9番)が表現されているといった指摘があります。『新世界』はアメリカを意識してできているので、アメリカ=新しい世界創造のように受け取れます。宮沢賢治自身は法華経の思想に基づいて田中智學が説いた「純正日蓮主義」という法華経的な世直し思想に共鳴を持ち、非常に大事にしていました。
それは、世界を法華経によって霊化していく「真世界」の創造だという思想で、賢治の同時代、特に1911年前後頃から日本国内に広がっていました。賢治が入信するのは1919年頃ですが、そういう国柱会の思想などが出てきた時代というのは、「真世界」の創造とは裏腹に、世界大戦が1914年から18年まで起こり、かつ世界大戦が終わる頃にスペイン風邪のパンデミックが起こって、非常に多くの方々が亡くなっています。
そういう時に賢治は国柱会に入会し、信行員となって、生涯会員であり続けます。そういう中で賢治は『銀河鉄道の夜』を最後まで練り上げようとしたので、同時代の問題意識というものが最終的にこの中のいろいろなところで、メタファーとして表現されていると思います。
―― また、メタファーでいうと、自分の作品を自己引用しているところもありますね。
鎌田 「さそりの火」とかね。
―― ええ。自分の作品を自分の作品の中に入れ込んで、世界観を著していく。この作品に対して賢治が込めたものが、やはりそういうところからも見えてくる気がします。
鎌田 『よだかの星』につながるところとか、前回言った『農民芸術概論綱要』の一節につながるところとか、いろいろなものが賢治の中では重なっていますよね。その重なり具合を、メタファーとして捉えることもできますね。
●宮沢賢治とキリスト教の関係
―― 次の質問にまいります。「『銀河鉄道の夜』にはキリスト教的モチーフが多く登場しますが、この物語へのキリスト教の影響についてはどのようにお考えでしょうか」。今回の講座の中でも少しお話しいただきましたが、賢治とキリスト教の関わりのようなことにも若干広げて考えた場合、賢治とキリスト教はどういうことになりますか。
鎌田 賢治が花巻で一番親しくしていて、宗教的に共鳴していたのが、斎藤宗次郎さんという人です。この人は内村鑑三の最期を看取った方で、クリスチャンの中でも無教会派のキリスト教徒でした。(「雨ニモ負ケズ」の)「デクノボー」のモデルかもしれないといわれた人で、いろいろなことをしています。そのような、キリスト教徒が持っている純真、純粋な姿というものを、賢治は間近で見ています。なので、賢治にとってのキリスト教は本当にリアルで、自分にとって大切な、向き合うべき宗教の一つであったと思います。
また、妹が就学した日本女子大学校(現・日本女子大学)もキリスト教的な精神に基づいていました。(創設者の)成瀬仁蔵という人がそういうものを持っている人ですから、妹を通してもキリスト教的な精神性の深みというものを、賢治は意識したと思います。
しかし、先ほど言ったように、賢治の世界観そのものは、法華経的な万物生命の思想のようなものなので、そういう命の全てが差別されることなく、仏の世界へみんな一緒に行くことができる。ここのところで、ある種、キリスト教の広がり方の一面には選ばれた者だけが行くという、(キリスト教には選ばれたものだけが行くというような思想ではなく、全ての万民が救われていくという思想ですが)やはりそうした排他的で差別的な部分も含まれていました。
そういうものに対して、仏教徒であり法華経的な純正日蓮主義の中に入っていた賢治にとっては、「本当に全部を包摂しながら救済していく道は、法華経の、田中智學が示している純正日蓮主義というものこそ、現代を生きる宗教的な思想であり、存在論ではないか」と思っていたと思うのです。
ですから、キリスト教と対峙しつつも、法華経の思想の持っている、より包摂的で根源的なものに価値を置いていたことは間違いないと思います。
●「ほんとうの神さま」と「隠し念仏」の世界観
―― そういうリアルな賢治を取り巻く人々との人間関係ということを含めて想像を働かせると、講義の最後でお話しいただいた「ほんとうの神さま」論議。明らかにクリスチャンである青年とジョバンニが論を戦わせた...