●ニューリベラリズムの登場
―― そして次に、「『リベラリズム』から『ニューリベラリズム』へ」と、リベラリズムに「ニュー」が付くわけですけれども、これはどういう意味になるのでしょうか。
柿埜 19世紀の後半には、自由主義的な発想が実際に実行に移されるようになってきて、封建的な規制や、不合理な刑罰といったものがなくなって「法の支配」が確立され、「自由貿易」になる。そういった社会ができてきます。
民主的な社会ができて、議会政治が確立してきた時代だったのですが、そうなってくると「国民が議会に代表を送っているのだから、議会は暴走したりしないのではないか」「議会が国民にとって望ましい人生を送れるような再分配や、政府が介入していろいろなことを行うなど、そういうことをやったほうが、むしろいいのではないか」という発想が出てきます。これが「ニューリベラリズム」といわれる考え方です。
国民の自由について、「望ましい目的(「積極的自由」と言い換えてもいい)を実現するためだったら、政府が次々と経済に介入したり、国民の財産を再分配したりするのはいいことなのだ」という発想が出てきます。これは「多数者の専制はよくない」というミルの発想とは、ある意味で真逆なのですが、そちらに行ってしまうわけですね。
●市場経済への疑念と相まって、介入主義が台頭
―― これは「ニューリベラリズム」と、主にヨーロッパで理解されていることになるのですか。
柿埜 この「ニューリベラリズム」という言葉は、イギリスで使われるようになりました。トマス・ヒル・グリーンやホブハウス、ホブスンはイギリスの人ですが、こういう人たちが唱えた考え方です。やり方として、民主主義であるならば、基本的に社会民主主義(社会主義)でもいいのだという考え方です。
つまり、「大きな政府にして個人の人生の自己実現を助ける。そういう体制がいいのではないか」となってきてしまうわけですね。
―― なるほど。それで、ここ(スライド)にあるように、「侵害されない権利」、まさに消極的自由を求めていた旧来のリベラリズムからは当然、批判されるけれども、次第にこちらの旗色がよくなってくると。
柿埜 そうなんですね。これは一見、とてもいいことのように思えます...