●選挙至上主義は変えられるか――制度改革から着手する必要がある
―― そういう中で先ほどの議論に戻りますけれども、今の日本の政治の中で、では野党が本当にまとまってくれるのか。あるいは選挙至上主義で、選挙に勝てば何でもいいという、自民党的な「ばら撒きでもなんでもいいですよ」という政治が終わるのかというと、なかなか難しいと思います。そういった中で、国民としてはどうすればいいのかという点を教えていただけますでしょうか。
中西 そうですね。これはおっしゃる通りだと思います。選挙至上主義とは、こういうことです。「政治家になることが利権になる」。政治家の「選挙に落ちたら何の意味もないのだ」という言葉があります。「選挙に落ちればただの人」という。議員に当選することが利権(利権といえば語弊があるかもしれませんが)ですから、2世議員、3世議員、4世議員となるのです。
それをまた横目で見ていますから、「あの人は息子だから、孫だから、有利なのだ」となってしまう。それがまた選挙シニシズム、選挙至上主義を生み出してしまう。こういうことだと思います。
ですから政治改革は、制度の改革で最初は着手する必要があるのでしょう。一つ具体的に言えるのは、「〇親等以内の親族が出ていたら、同じ選挙区からは出られない」という、イギリス議会的な改革をすることです。
イギリス議会もこの改革をして、かなり大きく政党のカルチャーが変わりました。その意味で、まずこの改革をどうやって行うか。ここまで2世議員、3世議員が多くなってしまったら、「それは反対だ」という、国連常任理事国の拒否権を廃止するのに常任理事国が全部反対するといったことと、同じ現象が起こります。ここはやはり、世論が非常に強く要求しないと、なかなか難しいのかもしれません。
しかし、選挙区の十増十減が実現しているわけです。ですから、その意味で粘り強く、イギリス議会ができた改革がどうして日本ができないのだといって行うことが一つあります。
それから選挙至上主義について、総理大臣が好きなときに衆議院を解散できるという、いわゆる「解散権」の問題があります。
これは憲法解釈も絡みますが、イギリスの議会改革でいえば、イギリスも以前はそうだったのです。だから、非常に党利党略の解散がありました。それによって結局、国民の意思が伝わらない。せっかく選出した議会が全く別の構成に変わってしまうのです。
そういった国民の要求もあって結局、選挙は任期制になるわけです。任期が終わるまで総選挙はできなくなるのです。ただ、これは例外規定がいくつかあります。「議会の中で非常に強い意思表示があれば」などいくつかあって、それは留保しています。
そういった改革をすれば、おそらく政治家は政策論議にもっと熱心にならざるを得ない。選挙にばかり構ってはいられない。あるいは、4年間であれば「4年間の実質的な成果はこれです」と示さなければ、選挙には有利にならない。そういうことになるわけです。いろいろな工夫をして実行していくべきだと思いますね。
野党の統合もそうです。つまりこれは、特定の政党が政策を改めないからです。憲法の問題をめぐってそうだろうし、特にその支援する支援組織(端的にいえば労働組合)で、官公労と民間労組で割れる。こういった労働組合の問題、全国基盤の問題がある。ここでも、野党も選挙至上主義になっているから一つになれない。そういう側面があるわけです。
●国民の政治への無関心への対策――若者や女性がもっと政治参加できる制度に
中西 国民の(政治への)無関心についてもそうです。これは“鶏と卵”の関係になってしまいますが、まず、今懸案になっているのは「ジェンダーギャップ」です。女性の進出をものすごい勢いで加速させないと、これは実現しません。女性がたくさん政治に進出すれば、国民の無関心は徐々に改まります。あるいは急速に改まります。若者が選挙にもっと出るのです。
だから、行うべきことはたくさんあるはずです。若者が選挙に出るためには、選挙権の問題。それから供託金の問題。このような問題で、今まで政治参加の埒外にあった人たちが、もっと気楽に立候補できなければなりません。
女性の場合は、いわゆる「パリティ(同等)」。フランスでは「パリテ」といって立候補者名簿が男女同数でなければならないという。そういった選挙区や選挙制度を、法律でつくってしまう。あるいは若い人がどんどん選挙に出られるように、現役世代が出られるように、サラリーマンが会社に籍を置いたまま選挙に立候補できる。これも欧米先進国でもう広がってしまっている制度です。
こういうことを行えば、国民の政治意識は相当大きく変わる。これが日本では何一つ進まないでしょう。2世、3世の問題から始ま...