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DATE/ 2017.04.14

なぜ子どもを虐待する親が後を絶たないのか?

 テレビを見ていると、時おり「子どもの虐待」のニュースが流れてきます。いくら時代が流れても、こうした幼児虐待や児童虐待がなくなる様子はありません。倫理的に悪いことは誰もがわかっているはずなのに、なぜ子どもを虐待する親が後を絶たないのでしょうか。

 この問題に対して、「倫理を金科玉条にして、虐待をする母親に“人権の意識がない”とか“母親のくせに”と言っていても、問題は解決しません」と語るのは、総合研究大学院大学長の長谷川眞理子氏です。長谷川氏は自身の専門である進化生物学の観点から、その理由を独自に説明しています。

ヒトは昔からかなり子殺しをしている

 母親による子殺しや嬰児殺は、人間以外の生物にはあまり見られない行為です。「なぜなら、わが子を殺してしまうことは、自分の遺伝子の継承者を消してしまうことだからです」と、長谷川氏は語ります。しかし、人間だけは別なのです。

 長谷川氏によれば、古今東西の記録や資料を探ってみると、ヒトは昔からかなり子殺しをしていることが分かるそうで、しかも母親自身による子殺し、嬰児殺が多いのです。現代社会では殺人は全て罪になります。嬰児殺も決して例外ではありません。しかし、近代以前の伝統的な社会では、特に母親による嬰児殺は、一般の殺人と区別され、容認されてきたのです。

 伝統社会での嬰児殺は、次のようなときに行われました。1つ目は、資源が十分でないときです。狩りの獲物が少なかったり、農作物が不作だったりして、食糧難に陥ったときに子殺しが実行されました。2つ目に、奇形があったり、明らかに子どもの体が弱いときです。3つ目に、父親が不明な子、不倫の子、部族の違う男との間にできた子、離婚した前の夫の子など、共同体が喜んで皆で一緒に子育てしていこうという気にならない出自の子どもたちのケースです。

昔も今も、実の父母がそろわない家庭の虐待リスクは非常に高い

 そうした嬰児殺が行われた根本的な理由について、長谷川氏は「人間が共同繁殖の動物だからだ」として、こう続けて語っています。「人間は非常に特殊な動物で、一人で生きていくことはできませんし、母親だけ、もしくは父母だけで子どもを育てていくこともできません」。つまり、共同体が父母の結婚を正統なものだと認め、その二人の子をしっかりと受け入れない限り、伝統社会では子育てが事実上不可能だったのです。

 実をいえば、現代の子どもの虐待も、基本的には近代以前と同じ理由で起こっています。金や職がない、子どもに障害や疾患がある、片親や継父・継母であるという理由で、虐待やネグレクトが行われるケースが多いのです。

 長谷川氏が警察庁のデータを調べたところ、特に0歳児の赤ちゃんの虐待死リスクが高いことがわかっています。これは子育てが一番大変なときです。また、全体のほんの1~数パーセントであろうシングルマザー・シングルファーザー、あるいは新しいパートナーがいる家庭は、虐待の確率がかなり高いことも判明しました。つまり、近代以前なら共同体に認められないような子どもは、現代ではすぐに殺されないまでも、虐待されるケースが多いということです。昔も今も、実の父母がそろわない家庭の虐待リスクは非常に高いのです。

 とはいえ、もちろん新しいパートナーが絶対に駄目というわけではありません。ヒトは皆、共同繁殖の種であるがゆえ、潜在的に他のこどもをかわいいと思う素地があり、面倒を見てあげたいと思うものです。現に、ほとんどの義理関係はうまくいっています。しかし、他の物理的な条件などが整わず、義理関係で新しいパートナーが若く次の繁殖のチャンスがあるといったことが重なると、虐待リスクは大きく上昇するということです。

子どもの虐待は社会システム全体の問題だ

 では、子どもの虐待を減らすにはどうしたらよいのでしょうか。長谷川氏は、まずは社会的な認識を変えることが大切だと語っています。

 先述したように、ヒトは資源と周囲のサポート、そして文化的なセーフティネットがある状況でなければ、なかなか子育てできない生き物なのです。このことを前提にしないと、子どもの虐待はいつまでたっても解決しません。つまり、子どもの虐待は虐待する本人たちというより、社会システム全体の問題なのです。
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